25円のめざしの価値

日記に書こうと思ったけれど、なんだかモヤモヤする結果になってしまったので、そのモヤモヤを書いておく事にした。

 

昨日、フジシティオというスーパーで買った、100円の「おつまみめざし」4本入りがとても美味しくて、ついつい夕方から日本酒を呑みはじめてしまった。

カラッと乾燥しためざしは、ご飯のおかずになるのではないかという美味しさで、子供は甘酒のアテにしたし、わたしも七味唐辛子とマヨネーズをつけて、居酒屋気分を楽しんだ。

しかし、めざし一本25円だ。

あまりにも破格ではあるまいか?

海の中で必死に生き、めざしと言えども大きくなり、人間に捕獲されて売りに出される。めざしには関係ないとしても、一本25円の対価は寂しさを感じる。

 

モノの価値は、人の意志が介在する。

労働も入るし、光熱費も輸送費も入る。

もろもろ引いためざしの価格はいくらだろう。

 

別の獲物を狙って、ついでに水あげされたところを、不要だと言われれば価格はゼロ。

下手をすれば、産廃費もつけられてマイナスかもしれない。

そう考えれば、価格がゼロ付近のめざしが生きた証しには価値がない、という事になってしまう。

 

いや、サンマもそうだ。豊漁なら安いし、不漁なら高くなる。光熱費や人件費だけでなく、需要と供給のバランスによって、価値は変わってしまう。

エビなんてもっとわかりやすい。エビカニアレルギーの人にとって、エビは毒でしかない。価値はゼロだ。

でも大多数の人は、エビをありがたがって食べる。結構高いお金を支払って、食べる。

 

人の都合が、モノの価値を決めている、という事になる。

 

なら、漁で網にひっかかっためざしやサンマ、エビは、もしも人が欲しいと思わなければ、価値はないのだろうか。

勝手に水あげしておいて、不要だから捨ててしまわれる魚たちの、今まで生きた証しに価値はないと言えるのだろうか。

価値はあるけれど、人が介在した部分だけに、お金という価値の形が付いているだけ、なのか?

 

すると、価値という言葉を選ばなくてはならない。わたしもブログで、簡単に価値という言葉を発するけれど、素材になるモノたちが所有する価値には別の言葉がふさわしいのかもしれない。

 

それを、命と呼ぶのかもしれない。

鉄鉱石には命はないけれど。

石油は過去の命の寄せ集めだから。

 

とりあえず、考えをもう少し整理しよう。

価値を見出すブログだから、ここは簡単に答えを出せないね。

wikiでも読んで、答えの道筋でもたててみようかな。

 

皆さんの昼ごはん、その素材の価値はどれくらいだろう?

 

 

 

今日も monogress をお読みいただき、ありがとうございます。

別に哲学や倫理のブログではありません(^ ^)ただ、少し気になった感じです。

モノを大事にするには、理解する必要がありそう。もう少し考えてみます。

本日はコンテンツ更新はありません。昨日は日本酒呑んで寝てしまいました!

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