【モーター・アーツ】追憶のトランスミッション

自動車の加速が好きだ。

 

アクセルを踏んだ時の、エンジンから路面までがしっかり繋がった時の感覚が好きだ。

 

クルマの身体が強張って、緊張して、静と勢が混ざりあって敏感になった瞬間が好きだ。直結感の身震いは今も昔も変わらない。

 

誰しも、人の能力では実現できないパワーとスピードに魅入られたことはあるはずだ。右脚に力を込めれば、シンクロするように前に出る。自分の能力のような錯覚、強さを従える喜び、クルマは移動以外の満足感を与えてくれる。

 

クルマの主役はエンジン。だが、回るだけのぶっきらぼう。沢山の細工は力を生むが、やはり得意は回ること。引き立て役はトランスミッション。階層を伴う加速感も、耳に響くサウンドも、全ては彼の演出があってこそだ。

 

BMW218iのシフトまわり

 

ほんの30年前、トランスミッションといえば4速5速が当たり前だった頃、硬派といえばマニュアル・トランスミッションだった。トルクコンバータは滑るからと、CVTはエンジン音とのフェーズが合わないからと、左脚でクラッチを繋いで直結感を喜んだ。

 

エンジンの回転数を適度に上げて、アクセルを離しクラッチを切る。次のギアに押し込んで、クラッチを繋ぎながら、アクセルをまた少し踏み込んで。エンジンの回転数が落ちきる前に完了させる気持ちよさ。クルマごとのギア比の特性を身体と耳とで覚え込み、華麗にシフトチェンジを決める。

 

セカンドギアとサードギアを行ったり来たりが楽しかった。上げては下げ、下げては上げる。日本の道路を遊び切る。時々、高速道路で楽しむフル加速。日頃よりもクルマの緊張は強くなって、聞いたこともないエンジン音が轟いて、あ、カムが切り替わったなんて感じながら、この一瞬を愉しむためにスペック表と睨めっこしたのだとホクホクして。

 

VOLVO XC90のシフト周り

 

そのまた昔は、クラッチは2回踏むものだったらしい。ダブルクラッチ。私は知らない、わからない。クルマを動かすことは段々と簡単になってきて、私が懐かしむ時代よりも前と後では意見は全く違う。

 

けれども、クルマの楽しさは変わらない。

 

トランスミッションは進化し、みなぎる力を余すことなく路面に叩く。たとえ自動化されたとしても、より細かく、より丁寧に繋ぐ左手の相棒は、がむしゃらを愉しんだ若き日を思い出させる。鉄のカナリアのさえずりは、今も人の野生を呼び起こすのだ。

 

Peugeot308のシフト周り

 

5MT6MT4AT4AT5AT8AT8AT。これは、私のトランスミッション履歴である。

 

バスの前ドアに一番近い席に座り、運転手をよく見て覚えた「運転」という技術。興味深かったのは左足で、半クラを身体で覚える前に知識で覚えた。エンジン音の上げ下げ、シフトチェンジに合わせて動く左足は、ゴーカートとは違う何かがあると睨んでいた。夢がかなって教習所に行ったとき、トヨタ・マーク2で初めて触ったクラッチの感触。強く押し戻すその感動は今でも強く覚えている。

 

何度かクルマを乗り変えるうちに、トランスミッションは車選びの大事な指標に変わっていった。4ATより5AT、セミオートマにツインクラッチ。各社の用意する変速器に一喜一憂繰り返し、エンジンとのマッチングの最善を選ぶ。これもまた車選びの醍醐味の一つである。

 

素晴らしいクルマ文化を支えたトランスミッション。

 

両手両足でクルマを操作する喜びは、今は左足一本分減ってしまい、そのうち左手一本分また薄味になるのだろう。すでに一部の車は左手シフトが操作できず、新参・電気自動車は別の楽器を手に入れて、遠く微かに歌うだけ。もう少しの月日が経てば、トランスミッションに追憶という言葉を使う日も来るのかもしれない。

 

野尻湖周辺の景色

 

だが、マニュアル車を運転した想い出があること、パワーソースの過渡期にいること、次のクルマでトランスミッションと分かれる可能性があること。懐かしい想い出とともに選択肢のある時代に生きられたのは、私は幸せとだと強く言いたい。

 

あわよくば、再生可能エネルギー由来の燃料が開発され、エンジンが奏でるドライビングプレジャーが残りますように。進化したトランスミッションを携えて。その時には新しい直結感を、ぜひ味わいたいものである。