先日のお知らせは、近日中にブログの内容を変えるというものでしたが、もう取り掛かることにしました。
勝手ばかりでお許しください(^^;)
ブログの行き先はどうなるかわかりませんが、今まで通りご愛顧いただけると嬉しいです。ひとまず、「創刊号」を制作中です!
ですので、今日は「閑話」をお楽しみください。どのカテゴリーにも属しませんが、モノを大事にする心は伝えられるとおもます(^^)それではどうぞ〜
寝台特急で快適でない旅へ
飛行機に乗りたくない人
「上野発の夜行列車降りた時から」という出だしの歌を、数年に一度は年末の歌合戦で耳にする。青函連絡船を唄うこの曲を聴くたびに、北へ行く道のりは険しいものなのだと、子供のころは勝手に想像していた。
その険しい道のりを、飛行機という乗り物であっという間に終わらせることのできると知ったのは、小学校低学年の時。ちょうど、御巣鷹山墜落事故の起きた夏であった。
子供心に、大きな鉄の塊が飛ぶのが怖くって。今でも飛行機に乗る時は理論武装を怠らない私だけど、無知な子供の時、その恐怖心によく耐えたものだと今更ながら感心する。
その後、修学旅行や海外研修で何度か飛行機に乗るはめになった。飛行機事故の直後に飛行機に乗るという経験は、心の傷として残ってしまい、飛行機が嫌いになってしまっていた。
だから、家族揃って乗ったことは、まだ一度もない。相変わらず飛行機に乗る時に感じる「嫌な予感」にあわせて、家族を巻き込むという不謹慎な嫌悪感が嫌で、提案すらしていない。
そんな私が家族を北海道へと旅行に誘った時、上野発の夜行列車は、まだまだリーズナブルな価格で営業していた。
寝台特急 北斗星号 である。
無くなる前に乗りたい
私自信、北斗星号に乗ることは夢の1つとしていたが、営業休止がささやかれる中、早く乗っておきたいと考えて、北海道行きを決意した。寝台特急に乗りたい気持ちと、北海道へ家族を連れていきたい気持ちが重なって、子供のオムツが取れ、記憶に残る年齢になった時、行動に移したのだ。
飛行機で1時間半で行けるところを、13時間かけて進む旅。長い時間を1つの車両、ひとつの部屋で過ごすなんて、今まで経験したことがない。
「険しい道のり」といえば、チケットの争奪戦は本当に厳しい道のりだったと言える。早朝に開く駅員室に、朝一で寝台チケットを取るようにお願いする。失敗したときのために、1ヶ月後の長期連休はチケットの再チャレンジにも対応できるよう、長めに申請するなどして、融通を利かせておく。
とにかく、なんとかチケットを得る事ができた私たち家族は、北斗星号に乗り込んだ。ところが、その乗り心地に慄くのである。
聞いた事がない大きな音
25系寝台車 「ツインデラックス」
子供の頃に乗った、国鉄の鋼鉄車両の息吹を感じる。デラックスとは程遠いインテリアだが、たっぷりと余裕のあるソファーは確かにデラックス。家族4人が並んで座れる、頼もしさが嬉しかった。
むろん、子供にはどうでも良い事で、寝台の上段に上がっては下り、また上がっては、下りて遊んでいた。家内は本を読み、私はカメラをまわす。様々なエンジョイを家族全員で味わう中、私の心に刻まれることになる「モノ」がいくつかあった。
その1つは、ブレーキがかかる時に鳴る、「ゴゴン」という音。
何の音だかわからなかった。部屋の外で、誰かが壁に当たっているのか。荷物なのか。家内と話すが、音の出所を突き止める答えは出ない。
色々調べると、どうやらこれは、客車同士をつなぐ連結器というものから出る音らしかった。動力を機関車に頼る客車は、電気モーターを持たない。ブレーキは一応ついているようだが、機関車のブレーキの指示に対する応答性が電車のようには良くないらしく、どうしても連結器で音がなる、というのだ。
そのため機関車の運転手は、とても気を使ったブレーキをかけ、乗客の負担にならないように音をなるべく小さく、ショックを与えないようにする。高い技術力が必要なのだと、数々の鉄道趣味ページに書かれていた。
煩さも良さのひとつだった
タタン、タタンと線路のつなぎ目を超える音。ガラガラガラとポイントを抜ける音、ゴゴンという連結音。一般的にはうるさいと感じる様々な音は、ところが寝ている最中は気にならず、まさに子守唄。目をさましたのは、青森駅での一定時間の停車中。音が鳴らなくなったことで、異変?に気づいて起きてしまったのだから、音というのも面白いモノだ。
しかし、これらの「やかましさ」は、今は追憶の彼方だ。
後日、別の機会に乗った、寝台特急カシオペア号は、JRの意地が発揮され、とても快適なブレーキに変わっていた。連結音はしないし、乗り心地は良いし、A型特急列車の名にふさわしい。
相応しいのだが、魅力は半減してしまった。せっかくの鉄道での移動なのに、鉄道という感覚が薄れてしまっている。
無い物ねだり?懐古主義?確かにそうなのかもしれない。間違いなくカシオペア号には、車両開発者の執念が宿っている。でもそれは、北斗星号だってそうだ。当時の最高のモノを作ろうという気心は、車両の隅々に感じる事ができたのだ。
そして、匠なブレーキ操作、加速操作という技術は、過去のものへと変わっていく。
寝台特急をつなぐストーリー。この寂しさもまた、何かを大事にするために、必要なモノなのかもしれないね。
寝起き室内の写真がひどいですね(^^;)失礼いたしました〜
次の寝台特急へ
現代、北斗星の車両に似せたカフェがあるとか、ないとか。その徹底したオマージュには敬服するが、本当の魅力がそこにあるわけではない。もちろん存在を否定するわけではないけれど、車両が奏でた走行音は、体験できないものになってしまった。
新型豪華寝台列車にも興味薄だ。プランニングされた旅は悪くはない。けれども、旅は自由でありたいと私は思うのだ。そして、過度な豪華さを求めていない人も多いはず。
無くなったモノを取り戻すことはできないが、いくつかの思い出は人の心に残り続ける。私もしばらくは、その思い出を語り続けたいと思います。
※ この記事は、週刊化したあとに、再度掲載予定です。