完全EV可はいつなんじゃい!自動車パワーソース史これまでとこれから(前編)

内燃機関の歴史は、私達の人生よりも長いですよね。自動車産業における革命的な「エンジン」の開発は、ニコラス・オットーによる4ストロークエンジンとも言えますし、そもそもそれ以前に蒸気機関があったからこそ、とも言えます。

 

とてつもなく長い歴史の末端でEV・ハイブリッド論争が繰り広げられている。そんな未来をオットーが想像したかどうか、これもまた浪漫でございます。多分当時、電気と双璧をなす動力が欲しいと考えていたでしょうから、EVの時代は(悔し涙が流れるかもと想像しながらも)考えたかもしれません。ハイブリッドは、無いかなかあ。

 

現在において、EV・ハイブリッド論争なんて知らぬ、時代はハイブリッドかディーゼルかを選ぶときだ!と鼻息を粗くしている方も多いと思いますが、小型自動車はEV鈍化はされどいつかはEVに辿り着く、そう私は睨んでいます。燃料が少なくなれば、戦争をしたい国が牛耳るでしょうしね。ただ、その道のりは険しいかも。

 

今回は内燃機関と電気自動車の歩んだ道を前後編に分けて振り返りながら、EV化はいつになるのかを予想してみることにいたしましょう。

 

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内燃機関ダイジェスト 古代史

Peugeot 308(P5)エンブレム

 

古代史と書くと、ものすごく昔な感じに聞こえますが、単なる私の誇張表現ですすいません。それではまず、内燃機関の歴史を簡単に振り返ってみましょうか。

 

内燃機関は、燃料を燃焼させ、そのエネルギーを動力に変換する機関を指すのは、ご存知の通り。現代の主流はガソリンエンジン、ディーゼルエンジンですが、それまでには蒸気機関やガスタービン車、戦時中には木炭車と、様々なエネルギーが試されました。

 

初期の概念と実験 (17世紀 – 18世紀)

内燃機関の概念は、17世紀後半から18世紀初頭にかけて、さまざまな科学者やエンジニアによって提案されました。例えば、1673年にオランダの物理学者クリスティアーン・ホイヘンスが、火薬の爆発力を利用して機械を動かすことを考案。

 

さらには、フランスの技術者フィリップ・ルブロンは、1780年代にエタノールと空気の混合気を圧縮して点火するものを発明。しかし、どちらも動力源として普及することはありませんでした。

 

産業革命と蒸気機関の時代 (18世紀後半 – 19世紀初頭)

18世紀後半から19世紀初頭にかけて、蒸気機関が産業革命を牽引しました。蒸気機関は、石炭を燃料としてボイラーで水を蒸発させ、その蒸気圧力でピストンを動かして動力を生み出すもので、内燃機関が普及する前の主な動力源でした。

 

石炭が「黒いダイヤ」と言われてた事は、皆さんご存じのことでしょう。石炭は、それを掘ること自体が産業となり、北海道夕張のように大きな町ができる事もしばしばでした。

 

初期の内燃機関 (19世紀)

1807年、スイスの技術者フランソワ・イサーク・ド・リヴァが、最初の実用的な内燃機関の一つを開発しました。このエンジンは、酸素と水素の混合気を使用しており、小型のボートを動かすことに成功。水素エンジンも、意外と歴史が長かった!(笑)

 

1860年、フランスのエティエンヌ・ルノワールが、世界初の実用的なガスエンジンを発明。彼のエンジンは、石炭ガスを燃料としていました。主流にこそなりませんでしたが、内燃機関の先駆けとなったのです。・・・それは何故か?

 

4ストロークエンジンの誕生 (1876年)

メルセデス・ベンツ E-Vlass All-terraaom
現代の自動車メーカーの老舗は、車の創世記から内燃機関とともに居た!メルセデス・ベンツも例外ではない。欧州車の走りが良いのは、歴史あるメーカーとしてのアドバンテージが生きているのかも。

 

その答えはこちら。1876年にドイツの技術者ニコラウス・オットーの手より、4ストロークエンジンが誕生します。このエンジンは、吸気、圧縮、燃焼、排気の4つの行程で動作し、現在の多くの内燃機関の基礎となっていますね。

 

実は、オットーはルノワールのガスエンジンを見て、エンジンの研究を始めています。最初に動いた4サイクルエンジンは、ガソリンではなく石炭ガスだったそうで、これもまた頷ける話です。

 

このエンジンを使って自動車を使ったのが、ダイムラーとマイバッハです。オットーと共同で液体燃料を扱えるように改良し、オートバイや自動車などの移動体に載せることに成功するのですが、その話は脱線するので、やめておきましょう(笑)

 

さて、爆発力で機械を動かす構想から4ストロークエンジンの開発まで、ざっと200年が経ちましたね。人生何個分でしょうか。ゾッとしますね。

 

ディーゼルエンジンの開発 (1890年代)

さらに下ること1892年、ドイツの技術者ルドルフ・ディーゼルが、より高効率のエンジンを求めてディーゼルエンジンを発明しました。ディーゼルは、それまでのエンジンの熱効率が10%と低く、効率をあげること、様々な燃料を扱えることを念頭に新エンジンを開発します。

 

ちなみに、ディーゼルはその後、移動中の船舶から何故か失踪、そして海上で見つかるという「非業の死」を遂げるのですが、誰にも墓を作ってもらえないという有様だったそうです。その後、生誕100周年を記念して石庭園を寄贈したのが、日本でも有名なヤンマーの創始者でした。これもこれで、驚きを隠せません。

 

ディーゼルは散りゆく運命なのか…あ、まだ散ってませんでしたね、失礼!

 

内燃機関ダイジェスト 近年史

自動車の普及と内燃機関の進化 (20世紀初頭)

ここからは、皆さんご存知なことが多いのではないでしょうか。1900年代初頭、内燃機関は自動車に搭載され、特にガソリンエンジンが広く普及しました。カール・ベンツやヘンリー・フォードなどの技術者が、自動車の量産化に成功。内燃機関は個人の移動手段としても一般化していきます。

 

1920年代 – 1930年代にはターボチャージャーやスーパーチャージャーなどの過給機技術が開発され、エンジンの出力が向上。また、燃料噴射装置や点火システムの改良により、燃費効率も改善されます。

 

環境問題と内燃機関の改良 (20世紀後半 – 21世紀)

TOYOTA PRIUS サイドシルエット
ハイブリッドの代名詞は、どう答えを出したとしても、プリウスにしかならない。モーターによる走りのアシストを市販車で行う、なんて、誰も考えられなかった時代に生まれ、皆が模倣したのだった。

 

ところが、1970年代には世界的なオイルショックを受けて、燃費の良いエンジンの開発が求められるようになりました。大気汚染が問題視され始め、排出ガスを低減するための技術(例:触媒コンバーター、EGRシステム)が導入されます。

 

私が初めて購入したトヨタ・レビンにも、EGRのステッカーが誇らしく貼り付けてありました(笑)

 

1990年代 – 2000年代、内燃機関はさらに進化し、回生ブレーキによる損失エネルギーの回収を核とするハイブリッド技術が登場。この技術は我らが日本のもので、トヨタ・プリウスがその筆頭ですよね。プリウスの発売が1999年でしたから、4サイクルの発明から実に130年の歳月が過ぎました。世界はようやく、車の電動化への舵取りを果たしたのでした。

 

ハイブリッドVSディーゼル論争に待ったが入る

テスラのエンブレム

 

さて、ここまでで一旦、内燃機関のお話を止めましょう。プリウスの発売後、時代はハイブリッド車が主流になるかと思われました。しかし、高速道路で燃費が伸びないという側面もあり、欧州ではディーゼル車が人気を集めます。

 

ディーゼルエンジンも燃焼技術が進化し、コモンレールシステムや高レスポンスターボなどで、ハイブリッド車と争えるほどの商品力を手に入れます。これは欧州の技術が強かった。

 

ところが、2008年ハイブリッドVSディーゼル論争に食い込んできます。テスラのEVの登場です。

 

続きます(^ ^)