シェアワールドへの警告 愛着の無い世界は幸せと言えるだろうか

私は自分の生きた証を残したいと考えています。卒業アルバムでも戸籍でもなく、自分がここにいたぞという証。消費しかしない人生に、何の意味があるのだろうか、といつも不安になるのです。

 

歴史に名を残したいわけではないし、有名になりたいわけでもない。Wikipediaに載る必要もない。でもやっぱり、自分のことを覚えていてくれる人が少しでも多くいれば、その分幸せ。石碑だとか書籍だとかは最高!なんだ、有名になりたんじゃんというツッコミを言うなかれ、ひっそり書いていた日記を誰かが読んで、笑ってくれたらそれもオーケー。

 

だから私はブログを書きます。今までの世界とは少し違う、新しい知り合いのつくり方。人の記憶に残る人生。嬉しいじゃないですか。

 

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復帰戦ということで、他愛のない挨拶から始めさせていただきました。あとがきにも少しだけ、今後のことを書いています。

 

さて、今回は「モノへの愛着」のお話です。復帰戦、私の主張だらけです。大まかにはクルマの話。未来のカーシェアの話です。近年、自動運転が実現したときの注目のひとつとなる「自動配車カーシェア」が話題になっています。これからは、クルマを持たないという時代になると。

 

しかし「所有すること」ができなくなる世界では、モノを大事にする意識の低下がさらに加速するのではないかという懸念を私は持つのです。クルマを自分で買わない、借りるだけになる世界では、私達のような愛車人間は否定されてしまうのか。私は、「シェア」では得られない幸せがある、と答えます。

 

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シェアが蔓延すると世界は不幸になる

あなたの街を見渡してみましょう。中央分離帯にはペットボトルが投げ込まれ、自転車は置き去りにされて錆びきっている。これらはすべて「シェア」で生まれたものです。公共の道路だからという理由で行われるゴミのポイ捨ては跡を絶たず、便利だからと導入されたペットボトルはゴミの山を築きます。どこからか盗まれたものなのか、盗まれやすい状況にあったのか、置き去りの自転車を見たことのない人はいないでしょう。

 

所有感がはっきりしないモノを、人は”ぞんざい”に扱います。自分のモノでなければ、汚れようが無くなろうが困りませんし、悲しくもありません。ゴミのポイ捨ては「マナー」という社会性でカバーしますが、見えないところでは相変わらず行われています。クルマの窓からゴミを落としたり、タバコの灰を落とすなんてよく見る光景ではありませんか?

 

そこに、将来はカーシェアリングも混ざってきます。きっとすごく便利です。今は駅まで行ってタクシー待ちの行列に並びますが、いずれはスマホのGPS情報と連携して、自動運転による配車サービスが行われることでしょう。運転手という人件費もかからないから、タクシー代よりも安くなることは間違いない。きっと稼働率だって高くなるから。

 

でも、クルマに乗り込むやいなや、ゴミだらけ・・・という可能性はありますよね。シートがボロボロだとか、いたずらに穴をあけられているとか。これを見て私はきっと、こう思います。「大事にされていないこのクルマは大変可愛そうだ。」とね。

 

新幹線 W7系 金沢行き
鉄道も移動のシェアリング・サービス。たくさんの人の監視があって、汚く扱われることは稀だけど、カー・シェアではどうなるかな?

 

シェアが悪いわけではない

だからといって、シェア・サービスを虐げる理由にはなりません。

 

身近なところでは、借家はシェアの代名詞です。シェアハウスとか洒落たものも最近は言うけれど、家を持たない人たちは賃貸物件に住み続けます。貸す側は土地を資産として残すことができて、借りる側は自分の好きなタイミングで、移住することができる。両者ウインウインの仕組みです。

 

鉄道も、移動体のシェアリングサービスです。決められた時間に到着する車両に乗り、遠くまで移動する。大量輸送により料金は大幅に安く抑えられる。世の中の色々なモノは、人の編み出したシェアという仕組みで有効に活用されていて、私達は知らないうちに利用しているのです。

 

カー・シェアリングは個人で使用するものですから、鉄道とは違い、監視を義務付ける必要はありそうです。「ゴミ監視AI」みたいなものや、ゴミをみつけたユーザーによる「ポイ捨て報告」の機能を用意しないといけないかもしれない。技術をてんこ盛りにしていくことで、社会全体で安心して使える仕組みを構築する。ああ、更に一歩、カー・シェアリングを推進する裏付けができましたね。

 

でも、違和感が生まれます。クルマは本来買えるもの。そして所有感の大きなモノ。これを安易に手放して良いのでしょうか。今まで「愛車」だと言って大事にしていたものが、明日からは自動運転制御のシェア・カーに乗ってくださいと言われたら、それはもう悲しみのどん底に落とされた気分になるのではないでしょうか。

 

 

キーワードは「愛着」

なぜそう思うのかは、簡単なことです。クルマを所有するというコト自体が嬉しいことだからです。「所有欲」を満たす存在だからです。

 

自分で汗水流して働いて、やっと手に入れたマイ・カーには愛着を持つ人は多いでしょう。「愛車」という人も多いです。愛車となった車たちは大事にされ、洗車やメンテナンスをたくさん受けて、長く愛されて使用されます。

 

シェア・サービスに移行すると、クルマは持たなくても良いと思う人が増えていきます。東京都心に住んでいれば、ほぼ間違いなく不要になるのではないでしょうか。たまの旅行にクルマを使いたいなら、レンタカーを使えば良いです。買うよりも豪華なクルマに乗って、楽しい旅行を満喫することができるでしょう。

 

しかし、マイ・カーでの旅行の醍醐味は味わえなくなります。

 

自分で色々悩んで決めたマイ・カー。新車を購入したときの高揚感、慣らし運転で大事に乗って、きれいに熟成して良い乗り心地に変化する過程を愉しんで、自分のスタイルにカスタマイズしたり、クルマに合わせて自分のファッションを変えたり・・・相手は無機物なのに、愛車っていうのは人を動かす力があるよね・・・そういう付き合いを重ねた「愛車」との旅行は、レンタカーでの旅行に比べて数倍幸せなはずなんです。

 

だってそこには「愛着」があって、一家の仲間として受け入れられているのだから。仲間と旅行すると、楽しいし幸せなんですよね。

 

Peugeot-308SW and Tyrell IVE
やっぱり、ドライブ旅行はマイ・カーとが良い。たくさんの美しい景色を、自分の汗水流した給料で買った大事なクルマと一緒に楽しむ。幸せなことじゃないですか。

 

便利は愛着を引き離す

けれども、カー・シェアリングの時代は必ずやってきます。かなり便利なことだから。

 

タクシーの運転手さんは高齢化を迎えています。人材の確保のいらない自動運転のカー・シェアリングはとても便利。私は運転手さんと雑談するのが好きですが、嫌いな人も居るでしょう。すると「嫌だ」というニーズが優先されます。将来は、運転手さんつきのタクシーは「コンシェルジュ付き」なんていう名目で高級路線に進むかもしれません。

 

買い物の為だけにクルマを買っていた人も、カーシェアに傾くでしょう。乗り心地なんてどうでもよくて、働いてくれればそれで良い、月に4日の買い出しでしか使わないなら、マイ・カーである必要はないという意見は、もっともだと頷いてしまいます。

 

でも、やっぱり便利になることというのは、「愛着」から離れることを意味します。人間は安さや便利さには敵いません。目の前から「愛着」できるものが消えてしまう。これは不幸なことではありませんか。

 

愛着は幸せに直結する

例えば、デートをするとします。相手は自分が好んだ「愛着」のある人です。その人と色々なところへでかけて、様々な体験を共有すると、とても幸せだと感じることでしょう。

 

例えば消しゴム。小学生の時に消しゴムを誰かに隠されたことはありませんか。親が買ってくれたり兄弟が選んでくれたりした消しゴムを隠されたとき、怒りと悲しみを感じたことでしょう。愛着のあるものに何かしらの事が起きると、人は感情を動かします。

 

これは「シェア」にはない、大きな力です。価格などとは関係のない、自分の愛着から湧き出るものなのです。

 

先日、嫁さんの自転車ブロンプトンに触発され、私も自転車を買いました。かなり悩んで、「タイレル」というメーカーの折りたたみ自転車を選びました。引き渡しの日はルンルン気分!不思議なことに、価格差は20倍も離れているのに、プジョーを買った時と気持ちの高揚感に大差はありませんでした。

 

嫁さんいわく、「今日はニコニコだね!」って言われました。そんなに意識していなくても、顔にはでるものなんですね(笑)

 

今、室内で大事に保管している折りたたみ自転車は、やっぱり大切にしたい自分の「モノ」。愛着あるものに囲まれる生活は、幸せなことなのです。

 

Tyrell IVE と山下公園
自転車は日本製にいたしました(^^)Tyrell IVE という可愛い折りたたみ自転車です。こいつの購入記も書いていきます!

 

生き方の自由化に愛着のエッセンスを

生き方の自由化は避けられません。クルマもきっとシェアの波が押し寄せます。購入できなくなることは無いでしょうけど、所有しない人にとっては本当にどうでもいいモノになりさがります。便利さが優先され、モノが大事にされない事実は必ず、ポイ捨てされたペットボトルのようにゴミとして”ぞんざい”に扱われることでしょう。

 

それでも、モノを持ちたがらない人がいることも事実です。私も所有物は少ないほうだと思っていますが、まったく持ちたくないという人もいるでしょう。他人の生活スタイルに文句を言うつもりはありませんし、シェアで気が済むのであればそれでも良いと思います。

 

それに、私の場合は大型液晶テレビなんて、シェア・サービスがあっても良いのではないかと思います。もともと愛着しようと思わないモノへは、積極的に「シェア」を使うのは否定しません。モノを眺めて、幸せだと思わなくても良いのであれば、シェアを受け入れればよいのでしょう。

 

私はクルマが大事ですから、シェアではなく所有をするべきであって、将来は愛車の所有が許される世界に行き着いてほしいと思います。選択のできる世界です。レンタカーは楽しいけれど、幸せだとは思いませんし。

 

そもそも、この日本という国のなかで、世界の中で、地球の中で私達ができる役割ってたかが知れている。ちっぽけなことの繰り返しであって、積み上げであって。下手をすれば地球にとってはペットボトルと同じであって。ゴミかもしれなくって。でも、だからこそ地球の資源から作り上げたひとつの「モノ」は、シェアという「消費」に回すのではなく、大事に大切に使い続け、きれいに使い終わる選択肢をもっと強調するべきなんです。

 

そして同じだけの資源を使うのであれば、幸せと感じるコトが多いほうが良いに決まっている。カー・シェアリングの便利さを認めつつ、なにか幸せと感じられる仕組み、今後はこれも並行して考えていくべきなんですよね。

 

時代がシェアを求めるなら 愛着の共有もまた求められる

例えば低資源化やリサイクルの効率を追求するために「シェア」の仕組みを入れようとするとき、完全に消耗品にしたほうが良いものなのか、所有したほうが低資源化に結びつくのかは、よく話し合われるべきでしょう。シェアと所有の割合を明確にするべきです。

 

クルマなら、洗車やメンテナンスで資源を使うと言われる一方、大事にされたクルマはオーナーが変わっても、きっと長く使い続けられます。新しく生産するより、きっと低資源化が図れます。便利さだけで考えるのではなく、大事に長持ちさせる方法も考えてほしいと思います。

 

それにね・・・自分の所有しているものを、同じ趣味を持つ人と見せ合いっこすると楽しいんですよ。この時間はとても幸せなんですよ。時代が「シェア」を求めるというのなら、同じく今の時代は共通の趣味の人同士を強く結びつけることもできるんです。シェアでは得られないものがある。所有にも大きな意味があるんです。

 

地球資源を消費させて生きるのであれば、幸せと感じるくらいのことはしていかないと。それも、最小限の消費で済まさないと。働いて稼いだお金を、シェアリングサービスを使って楽しさに変換することも良いけれども、愛着を持ってモノに接して幸せになるという生き方も、しっかり残していきたいですね。

 

なんだか先走った支離滅裂記事になっちゃったけど。「モノ」に愛着を持ち、「コト」を楽しむことで感じる「幸せ」。この簡単なことが忘れ去られないように。monogress の主張を、ブログ復帰の記事としてここに残しておきたいと思います。

 

308SWで熱海ドライブ
愛車のステアリング、いつまでも握っていたいじゃないですか!相棒をじっくり選んでいつまでも楽しむこと。これぞ日本人の精神ですぞ。

 

あとがきとお知らせ

ということで、monogress の執筆を再開します。約一ヶ月のお休みでなんとかなりました。皆様大変お待たせいたしました。

 

今回のお休みは、いろいろな理由の重複によるものです。私はいろいろな理由からカフェ経営を目指していますが、そろそろしっかり準備していかないといけない時期にさしかかって、時間を割く必要が出てきました。土地を探したり事業計画を立てたりは、なかなか時間のかかることです。

 

そして仕事も大変で、一日中頭を動かしているものですから夜にブログを書くことができなくなってきてしまいました。ですが、ブログを書くことは本来大好きなことですので・・・これを辞めるわけには行かないんですよね(^^;)

 

ということで、今後は自分の体調も加味して、更新ペースを遅くすることにいたしました。週2記事書ければいいかな、というくらいのラフ感を出して、趣味がストレスにならないように気を配ろうと思います。

 

というか、本気でカフェ経営が近づいてきました!ここからが正念場!

 

おっと、気を配らないと(笑) 今後もお付き合い、よろしくおねがいします。