【モノグレス・カルチャー】車・懐古主義

先週、「夜もひっぱれ」がリバイバル放送された。懐かしい。まさか今になって再放送されるとは思わなかった。私が二十歳前後の頃、彼女と一緒によく見ていた深夜の音楽番組だ。司会の掛け合いは雑談と本番のギリギリを行ったり来たりで、酔っ払ってるのかと思うようなノリがクセになっていた。

 

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– 懐古 1 –

 

あの頃は、テレビが娯楽の王様だった。ネットもスマホもないから、週に一度の深夜番組が楽しみで仕方なかった。録画予約が自分のスキルのひとつだったし、うっかり上書き録画して、後悔したことも懐かしい。

 

そんな事を思い出して、嫁さまと大笑いして、とても元気になった。歌声もトークも、当時と同じ。少し笑って、少しだけ胸がキュッとした。思い出ってやつは、時に栄養になるんだろう。

 

– 懐古 2 –

 

当時を思い出すと、長く続く不景気の真っ只中。しかし、この先の長い人生をどのように楽しむかで、ワクワクしていた時期でもあった。300万円にみたない年収で結婚し、独立して、少ない給料から車のローンを捻出してようやく買ったレビンとともに、いろいろなところに走りに行ったものである。110ps、165幅のタイヤなんて今やスポーツとは呼ばないが、将来への期待感で心を満たして、自動車雑誌でいつかの自分を想像して楽しんだものである。

 

当時の車社会は、走りに全力投球な世界だった。280馬力規制は一種のロマン、WRC組のランエボインプの対決も面白くって、私は確か、インプ派だった。ATは走るためのミッションではなく、燃費もMTが優っていた。ロータリーターボもしょっちゅう目の前を駆け抜けた。日産が元気な頃で、スカイラインやシルビアがトヨタ車を嘲笑っていた。でも、その頃私はトヨタ・スパシオが欲しかった…その時代よりも過去を知っている人にとっては、ひとつの時代でしかないけれど、私にとっては輝かしい車の世界の入り口だったのだ。

 

今の車達はどうだろうか。

 

– 懐古 3 –

 

比べるでもなく、現代のクルマ達は素晴らしい。シフトをDレンジに入れても押し出されないし、アイドリングで車がゆすられることもない。400Nmのトルクを受け入れるATもあるし、電動化技術は無音走行を可能にした。安全で安心で、箱の中に入れておいた娘にだって運転させてあげられるようになった。

 

けれども、ちょっと寂しい。

 

ステアリングが重くて、クラッチが固くて、冬は窓が凍って開かないような車に乗っていたからこそ、ドライブは「ちょっとした冒険」だったのだと思う。いまは何もかもがスムーズすぎて、「車と付き合っている感覚」が少なく感じる。

 

車って、もともとは不便で、扱いづらくて、それが面白かった。右足ひとつで加速と減速を操って、エンジン音に耳を澄ませて、「今、踏むか? いや、まだか?」なんて独り言を言いながら走っていた。そうやって、自分の技量で車と対話していた時間が、幸せだったのだ。

 

– 懐古 4 –

 

自動運転の車が現れ、普及したら乗るかと言われれば、当然乗るだろう。ステアリングの付いていない車が現れたら、絶賛することだろう。テクノロジーの進歩を否定する気は、さらさら無い。でも、心のどこかに、「もう少しだけ、不器用でいてくれてもよかったのに」と思ってしまう。

 

でも、それはきっと、車というより、自分の若さが懐かしいだけなのかもしれない。

 

それでいいんだと思う。運転は自分の為のもの、などという贅沢は言わない。だって、どんなに時代が進んでも、あの頃のドライブは、あの時の笑顔は、私の中でずっと走り続けているのだから。