誰もが、自分の持ち物を写真に残したいと考えるだろう。宝石、時計、ぬいぐるみ。想い出に囚われることは良いことだ。いくら消費社会と言えども、モノの存在をないがしろにしては意味がない。その場所に、その道具があったこと。それを認めた自分が居ること。人と道具は存在を通して歴史となる。
私はクルマの写真を撮る。私は自転車の写真を撮る。私は景色の写真が好きだ。
Tyrell IVE サイクリング・ギャラリー
オシャベリ・サイクリング 神奈川県日吉町
小さな歴史を探す旅
クルマと自転車のコラボレーション、6-Wheel(シックス・ホイール)と言うけれど、メインは自転車なんじゃないかと思う。自然豊かな大地なら風をきって走れるし、知らない街で知らないディティールを立ち止まって吟味できる。
アトラクションを持ち歩いているようなもの。折り畳み自転車を持つ人の特権だ。
私の場合、街中では目的地を設定せずに、のんびりプラプラ・サイクリングだ。目に入った興味があれば、その都度止まって調べて遊ぶ。子供時代からやっていた遊びは、情報の深さという進化を遂げた。手のひらで気になる場所の歴史を得る。これがなかなか面白い。
名も知らない神社をみつける。自転車を停めて覗き込む。奥には少しの人気を感じ、あまり見てはいけないな・・・と躊躇する。そんな私の脇を、小さな子どもが通り過ぎようとして、「何しているの?」という目でこちらを覗いた。覗き込みの連鎖であるが・・・せっかく来た知らない場所。恥ずかしがらずにニッコリ返して、再び神社を見上げてみた。
日吉町 駒林神社
”駒林神社”と書かれた鳥居。
この付近に駒林という地名はない。しかし、近くには駒林小学校。ということは、昔このあたりは駒林という土地だった?
WEBで調べてみる・・・おお、あった。戦国時代に「駒林郷」。どこかの時期に日吉村に合併され、そのまま日吉町になったわけか。神社の名前に歴史あり。ここも思ったよりも長い営みがあるようで、それを知れてホッコリした。何百回と訪れた春夏秋冬。人の喜びも悲しみも、この神社を中心に重ねた人が沢山居たのだ。
それにしても、様々なお店の名前が連なる提灯達。どれも新しく、例大祭でも開かれるのかも。しかし、昔の人は提灯にカタカナ表記の店名が並ぶとは思っても見なかっただろうね。
ゆっくり走っても楽しい折りたたみ自転車旅
軽量折りたたみ自転車、Tyrell IVE で巡る街中はとても楽しい。小さな路地をゆっくり走る。下手すればママチャリ族にも抜かされるが、まったく気にせず低速ギアでサクサク走ろう。速度は出せば出しただけ、貴重なものを見失う。
クロムモリブデン鋼で作られたフレーム。その性能を引き出す自転車設計の効果は絶妙。急な下り坂の路面の「まる」は一応避けるが、踏んでしまっても大丈夫。自転車全身がクッションになって、不快なショックを和らげてくれた。
水色の三角フレームは力をうまく分散する。無駄な偏りが無いから、路面からのショックも前後同一で安心する。機能性を有した形状美って、なんだか持っていて嬉しくなる。
知らない街、しらない道。住む人には普通の路も、旅人には特別だ。もう2度と来ることのない路地裏で、愛車とともに記念撮影。化粧を忘れた住宅街に、奇妙な美しさを感じるのは私だけではないはずだ。
新しい景色は、自分で動けばすぐに見つかる。今日もまた、自転車をこぎ出そう。