かつての車は「乗るもの」「移動するもの」だけでなく、「操る楽しさ」を提供してくれる存在だった。いや、いまもそうなのかもしれない。しかし、その味は薄くなるばかりである。現代自動車業界は、省エネルギーとそれを達成する為の電動化の波=薄味化には抗えない。
その最もたるが、マニュアル・トランスミッションだ。MT・AT比率などという言葉は、10年以上前に死語になった。ほとんどの人は運転は楽なオートマチック・トランスミッションを選ぶだろう。走りは充分に楽しいし、安全電動デバイスとの相性も良いのだが…私達はその時代の流れに、若き日の楽しさの想い出さえも流されてはいないだろうか。
HONDA CIVIC FL1のマニュアル・トランスミッション車。久しく「操る楽しさ」と「家族を乗せる安心感」を両立させた稀有な一台の、ドライビング・インプレッションをお届けする。
HONDA CIVIC FL型ギャラリー
HONDA CIVIC FL1(MT)ドライビング・インプレッション
CIVICは優しいマニュアルトランスミッション車
BMWが6気筒エンジンをアイデンティティに掲げたように、SUBARUがボクサーエンジンを手放さないように、ホンダは4気筒エンジンの最高峰を育ててきた。エンジンサウンド、フィーリング。右足にリンクした182馬力の官能は、省エネルギー時代の現代においても廃れないことを証明。WLTCは15km/Lを超える。
クラッチを切り、シフトレバーを1速に入れ、アクセルを軽く叩く。フワリと上がるタコメーターの針を耳で追いながら、スルリとクラッチを繋いでいく。その感想は、「優しい」だった。実にスムーズに私の操作を受け入れる。雑味のなさは CIVIC の目指すところだが、そうか、そのコンセプトはMT車にも反映するのか、と関心しながらのスタートになった。
誰にでも優しくわかりやすい走り易さ
2速、3速・・・少しエンジン音が聞こえづらいと感じつつも、1.5リッターターボエンジンの太いトルクは、操作ミスを打ち消してくれる。私の残念なクラッチミートは車をガクリと前後に揺らすが、2秒も経てばもとどおりだ。なんて懐の深い車だろうか。
では、今度は2速で引っ張ってみる。クオォォォォ!と、2リッターの e:HEV 用エンジンとは毛色の違う、少し湿度がある角の丸いエンジンサウンドがようやく車内に鳴り響く。背中のすこし上の方で感じる、軽やかなサウンド。さすがホンダ!マルチシリンダーなんて要らないな!と言わしめる音の芸術を、こんなラフな私にも味合わせてくれるなんて。
Z世代に、少し甘すぎるのではないか?と感じつつも、MTにもう一度乗りたい40代や50代にも、CIVIC FL1 の懐深い優しさはテキメンだ。ホンダの描くドライブフィールは、スポーツ走行したい人を広く向かい入れる優しさを目指しているようである。
脚の良い車は良い車
雪国独特の荒れたアスファルトを、振動を音に変えて進む HONDA CIVIC FL1。車の揺れはキビキビとしているが、コシのあるクッション性能で快適を保ちながら左へ右へと舞っていく。サスペンションは、絶対的なストローク量はたっぷりあるとは言い難いが、突き上げ感は何だか優しく、体育マットの上を走っているような感覚だ。
なるほど、基本的には HONDA CIVIC FL4(e:HEV)と同じフィールだ。ただ、重量が100kg軽い分だけ、細かい段差を軽快に超えていく緩さがある。最近のホンダの脚は、よく動く。サスペンションの付け根の剛性を軸として、ダイレクト感と快適性を高次元で両立する。良い脚の車は、良い車だ…これは持論でしかないけれど、大まかには間違ってはいるまい。HONDA CIVIC というプロダクトには、改めて感心なのである。
MT CIVIC の懐深いフィーリング
Cセグメント最高のスポーティファミリーカーの勲章を捧げる HONDA CIVIC の走りを、もう少しなぞってみよう。
時には前輪に荷重をかけ、時には後輪に身を任せ、挑むはマウンテン・サーキット。カーブを曲がりきり、直線でひっぱり、エンジンの美味しいトルクカーブ中でのシフトアップが決まると、なんだかとても気持ちが良い。クルマとリンクし、通じ合う感覚。愉しさを感じずにはいられないじゃないか。
下り坂、エンジンブレーキのモアパワーが欲しくて、ヒールアンドトゥを試す。ブレーキを踏みながら、クラッチを切った瞬間にアクセルを煽り、シフトダウン!…MT乗りではなくなった長い時間は、感覚の老化を招いていた。失敗だ。だが、笑えるぞ。惜しい!あと少し!と心の中ではしゃぐ自分がいて、それに付き合う車がいる。この関係性も心地いい。
ステアリングをグイッと曲げる。タイヤの接地性は確かで、駆動力のないリアタイヤが破綻する気配もない。優秀な後輪マルチリンクを信じ、アクセルを踏み増せば、自分が中心にいるような回答性を感じられる。CIVICは確かにマニュアル・トランスミッションで走りを楽しめる「スポーツ」を秘めていた。
爽快シビックの存在価値とは
CIVIC は優等生だ!
お世辞なく、なかなか優等生っぷりを感じられる。走りの良さは満足のいくもので、さらに車を降りて改めて全身を眺めてみると、欧州車のような三次元的な造形の奥深さには届かないものの、写真で眺めるよりも遥かに良い。
(もっとも、輸入車乗りはその造形美に惹かれているのではあるのだが。)
サイドビューは「爽快」を思わせるキレの良いディテール、かつ走りやすさを意識してか、ウインドウ下端が地面に対して水平だ。リアドアーはCセグメント最大級のホイールベース 2735mm の長さを活かした大きめデザインで、後席に座る人へも配慮がされている。そのような「Cセグメントの王道」を抑えつつ、6ライト処理により軽快感と高級感も演出され、さらにはハッチバックの大窓がスタイルの良さを助長する。
無味無臭は良いのか悪いのか
だからこそ、爽快というコンセプトがあるからなのか、その優等生っぷりに危うさを感じてしまう時がある。贅沢な悩みといえばそうなのだが、車の性能へステータスを全振りしたような存在と感じてしまう。
簡単に言えば、CIVICは無味無臭だ。その車の放つ存在価値、性格、ムードと言えるものが乏しい。自動車メーカーがそれぞれに持つアイデンティティが、HONDA CIVIC の場合には「良いものを作る」という気迫として存分に感じることができるのだが、しかし、これが我々のキャラクターだという主張は少なく感じる。
それはCセグメントの受け持つところではないのは、わかっている。だが、CIVIC FL1 のMTに、私は少し期待してしまったのだ。ホンダエンジンをダイレクトに触れることができる、この車に。
CIVICは独りよがりを捨て去った
しかし、そんなことはアコードにでも任せておけば良いのだろう。雑味をことごとく取り去り、工業製品としての優位性を高め、無個性に向かっているとわかっていても、その性能へ突き詰める。サラブレッドを磨き上げたのはCIVICだ。特徴や個性は、他の車種が作り上げれば問題ない。車作のど真ん中に、ホンダはCIVICを添えたのだ。その意味は、単純なものではないはずだ。
その証拠に、これだけ楽しさが詰まっているにもかかわらず、淡々と走る時は家族優先の乗り心地も提供できる。シフトショックは少なめに、1速→3速→5速でも走れるだろう。人間の持つ自然な感覚に添った、スピードとエンジン音の完全なリンク、そして全ての席から感じられる、ドライバーの操作と加速度の変化もまた、安心の要素だ。ステアリング操作はクイックでないから、急ハンドルにならずに済む。もしなったとして、広いトレッドが安定した姿勢を維持してくれる。
足周りは柔らかいとは言えないのだが、硬いと言えばそうではない。ドイツ車に似た、高速走行に重きをおいたセッティング。だから、ハイウェイを使用したロングドライブであれば、脚の柔らかな日本車よりも快適に過ごすことができるはず。
最高峰の無味無臭は、複雑であろう全方位への最高の工業製品を提供した。今のホンダを一番に味わえる車、CIVICは、その甘美なる静かな性能美や爽快という字名を裏切らず、例えマニュアル車であったとしても何でも来いのファミリーセダンと言えるのだ。
だだし、苦言をひとつ。マイナーチェンジでMTモデルをRSに一本化してしまったことは悔やまれる。「爽快スポーツ++」は大歓迎だが、とうとうZ世代が買えなくなってしまった。TypeR、ハイブリッド、RSと話題を振りまくHONDA CIVICだが、無印のCIVICもまた、良い車だった。ぜひ、販売の再検討を願いたいものである。
面白い車 HONDA CIVIC
車は、数百点の部品からなっている。人に個性があるように、車には個性がある。ステアリング、アクセル、ブレーキの、そしてトランスミッションの4つを駆使してその個性を味わうのだが、最近ではトランスミッションは車任せになってきた。これを否定することはないのだが、時々自分で操りたくなる。
並居るライバルが存在する中、その期待に応えてくれるのはCセグメントではHONDA CIVICだかだろう。優等生である必要はない、さらけ出した車に乗りたい。自分は車好きなのだ・・・と思う、かけがえのない気持ちを繋いでくれる車。その存在はとても貴重で、誇らしいものである。
HONDA CIVIC は面白い。過激な TypeR に、ハイブリッドの e:HEV 、エンジン+CVT、そしてエンジン+6MT。グレード選びというよりは、パワートレイン選びと言っていい、本当に稀有な車。ストレスも不満も感じない、HONDA CIVIC。その透き通った個性を手にする喜びは、人生の大事なログになることだろう。