今回もブロガー新車購入記念記事です。なぜクルマブロガー3人はプジョー乗りになったのか?プジョーの歴史に触れながら考えます。
彼と話すようになったのは、いつからだろう。
私の記憶では、彼が風邪をひいて、ネットでひろった406クーペの写真を送った時だったかも。SNSで話すキッカケなんて、ありふれたもの。けれども、今笑い合って楽しめるのなら、それでいいじゃない?
プジョー歴では先輩にあたる、くるすぺさん。明らかに私よりも若く、それでいてブログのデザインも記事のエッセンスも切れるくるすぺさん。彼の才能にあてられて、私のブログで改善したところはどれほどあるだろう。そして、UUさんと同じく、彼もまた、私の308SWに華を添えてくれた1人。
そのプジョー親分ことくるすぺさん、この度クルマを買い換えることになった。なんと、私が代車として借りた508SW GTLine!
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その入れ替え話は私が508SWの試乗記を書いた後に聞いて、あちゃー、プレゼント記事書けなくなっちゃった!となった。試乗記を読んで、最後まで悩んだそう。しかも私を意識して、小説風の508SW購入記まで書いたと言うじゃない。
ブロガーがクルマを買うなら、なにか記事をプレゼントしようと意気込んでいる私だが、購入を決めた彼から逆にパワーを受け取ってしまった。
これは、大きなプレゼントが必要だぞ・・・(*´Д`)
そこで、少し斜めな記事になるけれども、今回は研究記事でプレゼント記事としてみたい。彼が508SWを手にすれば、間違いなく508系記事は彼のブログの目玉のひとつになるはず。その結果、一番読みたい508の読み物が、自分の発信する記事で淘汰されていくことになるのだが、これはなかなか、楽しくもあり寂しくもあるものだ。
そんな葛藤に揺れ動くプジョーブロガーくるすぺさんの為、(一応)私の得意分野で記事をプレゼント。おめでとうございます(^^)
プジョーの深堀り
ベクトルの違うプジョーたち
「プジョーはどの車種も、目指すベクトルが違う。」
自動車ブロガー界隈で密かにささやき始められている言葉。
2020年春、まこまちはボルボからプジョーに乗換、UUさんはスバルからプジョーに、そしてくるすぺさんはプジョーからプジョーへの更新。UUさんいわく、「乗り味にやたらうるさい系ブロガー」がプジョーに集結してしまった。
けれども、この3人が3人、同じようなクルマが好きなわけではないはず。自分の好み、家族の好みが合わさって、ベストだと感じたクルマがたまたま今回、プジョーだったというだけだ。
でも、傍から見てみれば
「ブロガーが3人もプジョーのしたのだから、今プジョー来ているんじゃないか?」
と考える人もいるし、
「ぉぃぉぃ、こいつらプジョーから銭もらってんじゃねの?」
と睨む人もいるだろう(絶対に無いけれど)。
ベクトルの似通うユーザーたち
めちゃめちゃ偏った考え方で失礼かもしれないけれど、同じメーカーのクルマを選ぶ人って、考え方や感性が似ている人が多いと思う。
そのメーカーの何処に惹かれたのか、何が好きになったのか、当然ポイントは違うけれど、人の惹かれたポイントが「それもいいね」と言えるくらいには好んでいるはずだ。
私がボルボからプジョーへ「移籍(笑)」できたのは、安全性能がある程度の基準に達したことや、足回りに少し柔らかさを求めていたことや、ボディの品質が高級車っぽいしカッコいいところであるのだが、決定打は新世代ディーゼルエンジン。こいつは良いよねって人に自慢できちゃう、最高だ!と感じたわけ。
でも、ブロガー3人集まったとしても、それぞれポイントは違う。当然のように違うよね。
良い商品を積極的に人に勧めたい、という点は、同じだと感じながら切磋琢磨しているけれどね(笑)
プジョーType2
旧家プジョーの製鉄工場
その3人が集結してしまったプジョー。
今後プジョーを深堀りするには、やはりプジョーを知る事が好ましい。そこで一つの注目したいクルマの事を伝えたい。
「プジョー Type2 クアドリシクル」は、1890年に作られた、プジョー最初の”ガソリン車”。
プジョー家は15世紀には存在していた旧家。モンベリアールという土地は、フランスの中でもスイス寄り。ライオンエンブレムは、プジョー家が1858年に商標登録している、歴史ある「紋章」だ。
19世紀初頭、ジャン・ピエール・プジョー2世は鋼鉄造りに成功し、プジョー家を製鉄工場に変えた。その息子たちは製鉄技術を生かした商品、例えば工具であったり、コルセットであったり、ペッパーミルを生み出し続け、19世紀末には自転車の製造も開始する。
アルマン・プジョー
この、自転車の製造に活躍したのが、プジョー家子孫の「アルマン・プジョー」。1873 年、留学から帰った彼は、イギリスの先端技術で作られた自転車に着目し、プジョーでも自転車を作ろうと提案した。
しかし、製鉄業で確固たる地位を築いていたプジョーにとって、わざわざ「自転車」という未知の分野に進出することは冒険であるされ、否定されてしまっていた。
その後イギリスの自転車はフランスにも輸入され、人気になる。人に移動することの楽しさ、自由さをもたらす自転車を、自らの力で作り出したい。アルマン・プジョーはプジョー家に説得を繰り返す。
当時イギリスで開発された自転車「ローバー」は、前輪と後輪を同じタイヤサイズとして、チェーンで後輪を駆動する、今に続くもっとも最先端の「乗り物」だった。ローバーはその後、オートバイ、自動車開発へと進むのだが、アルマン・プジョーの中にはすでに、自動車の開発までも視野に入っていた。
自らの夢の実現、自分の持つ可能性の直視。輸入自転車の人気でようやく製造にこぎ着けるまで、足掛け12年。根気よく可能性にかける彼の情熱は、その後のプジョーの発展に大きく関わることになる。
自転車のその先へ
1885 年、プジョーは自転車の製造を開始。その4年後には、自動車の第一号を生み出してしまう。この自動車は3輪で、蒸気自動車であったのだが、ウォームアップが必要で走り出すのに時間がかかり、商業的には失敗。
だが、失敗を恐れずに公開する。積極的に前に出る。博覧会に出した自動車は、注目を集めることに成功した。
そこでアルマン・プジョーはエンジンの供給元を模索。ダイムラーのエンジンの供給を受ける契約をしてしまう。その結果生まれたのが、プジョー初の4輪自動車「プジョーType2」。
実のところ、最先端ではあった3輪自動車に搭載するエンジンを探すアルマン・プジョーは、パリ博覧会でルバッソール社よりダイムラーエンジンの搭載を提案されて、すぐに話しが纏まったそう。良いものを作れば、自然と良いものが寄ってくる。良い噂の立つ人は、良い人に恵まれる。技術者としても実業家としても、アルマン・プジョーの力は計り知れない。
今、プジョーに搭載されているエンジンは、BMWと共同開発のガソリンエンジン、フォードと共同開発のディーゼルエンジン。シトロエンのサスペンションのノウハウもプジョーの血となっているに違いない。現代プジョーと歴史のプジョーは、一本の筋でしっかり結びついている。
革新的な商売は、1人で出来ないなら他社の力を借りてでもやり通す。アルマン・プジョーの一連の活躍、これが今のプジョーの力の源なのだろう。
合計5台製造されたダイムラーエンジン搭載のプジョー「プジョー Type2 クアドリシクル」。世界最古の自動車メーカーと言われる所以になったこのクルマの成り立ちは、現代人も学ぶべき事が多く含まれているのだ。
プジョーブロガーを褒めたてよ!
くるすぺさんは、今まではプジョー5008に乗っていた。今度は508SW。きっと私とUUさんがプジョーに決めたから、という動機も少なからずあったことだろう。ごめんね!(笑)
さて、この話の外堀はくるすぺさんやUUさんに任せるとして(^^)
新しいことを始めよう。
ブログはどうだろうか?
動画はどうだろうか?
何かを人に伝えたい。話したい。
こんな意識を持っている3人は、自然とプジョーに引き寄せられてしまったわけだ。
プジョーの成り立ちとブロガーの集まり。ここに関連性はあるのかな?
インターネットの世界に、良いものを良いというメッセージを残す。良いクルマ選び、良い楽しみ方。工具のように、ペッパーミルのように新しい商品は産めないけれど、話や意見が取り込まれて何かの商品に反映されたら。
きっとブロガーは喜ぶに違いない。
時より、クルマブロガーだけで一つのメディアが作れないものか?などと夢を見ることがあるけれど、それは将来の可能性の話。大きな力になる可能性はあるけれど、今は三者三様が望ましい。それぞれが話すプジョー話を、インターネットでクルマを楽しむ層が支持してくれることを願うばかりだ。
私のブログでプジョーが気になる方は、プジョー親分のくるすぺさんの記事を読みましょう。508SWに決めた時の葛藤記事は最高に面白いよ!(^^)
先日、508SWの購入をご報告させていただきました、くるすぺです。 Twitter等でたくさんのお祝いコメントを頂けて感…
さらに、UUさんのプジョー記事も楽しみですね!早く3008納車されないかなー乗りたいなー(ぉ)
プジョー3008を契約してきた話と他に悩んだクルマを紹介 先日愛車のスバル・レヴォーグを売却してプジョーの300…
参考文献