Peugeot ライオン・エンブレムのルーツと隠された意味

今回の特集は、プジョーのライオン・エンブレムの調査記事である。

 

プジョーに乗るにあたり、ずっと気になっていたのが、プジョー家の成り立ちだ。今も13%の株をもつ筆頭株主であるプジョー家。少し多めの暇ができた為、深く調べることにした。

 

プジョーに関わりそうな歴史を色々調べてはみたのだが、史実を忠実に知ることはできなかった。だから、かなり私の意見も入っていることに注意して、読んでいただけるとありがたい。

 

他の自動車メーカーには無いプジョーの特徴

「鋸の刃の堅牢さは、ライオンの歯のごとく」

 

「鋸の刃のしなやかさは、ライオンの強靭な肉体のごとく」

 

「鋸の刃の切れ味の良さは、獲物に飛びかかるライオンのごとく」

 

1800年代、鋸(ノコギリ)を作っていたプジョーの、広告での言葉である。

 

日本の書籍を色々調べても、ウェブを調べても、プジョーの歴史については、あまり触れられていない。

 

フランス車というジャンルが、まだまだ輸入車選びの主流になっていないことが大きな理由だと思うけれど、食文化としてもアニメ文化としても、もう少しお互いに意識しあってもいいのではなかろうか?と思う事、フランスについては多いと感じる。

 

フランス料理は安く無いし、アニメは一方通行だし。別にフランス人が気品あふれる人ばかりではないのだから、安いワインのようにガバガバとフランス文化を試してみるのも、いいじゃない?軍艦や武器での交流ばかりでは、もったいない。

 

といったところで、もう一度プジョーに注目し直してみる。

 

車作りは「猫足」がもてはやされているけれど、パリのでこぼこ道はルノーだってシトロエンだって走るのだ。プジョーだけの特別ではない。デザインだって、シトロエンは「ピカソ」なんてグレード名につけちゃうくらい、飛び抜る。プジョーはどちらかと言えばオーソドックスで馴染みやすいスタイルだ。

 

しかし、ルノーにもシトロエンにも、フォードにもフォルクスワーゲンにも無い、プジョーならではの特徴がある。

 

それは、「ライオン・エンブレム」。

 

例えばトヨタなら「TOYOTA」の掛け合わせであったり、フォルクスワーゲンなんてもろに頭文字だったり(「V」と「W」ですね)するところ、プジョーはなんと「ライオン」マークである。それ自体はカッコいいから文句はもちろん付けないけれど、どうして「ライオン」を選んでいるのか、もっと発信して欲しいところ。

 

そこで今回、monogress取材班(1名だけど)は、ウェブの力を駆使してプジョーの「ライオン・エンブレム」の発祥について調査した。

プジョー ライオンエンブレム

 

最初のエンブレム

そのヒントは、まずはプジョーの公式ウェブからうかがい知ることができる。

 

プジョーのロゴとその歴史」において、1905年、プジョーのロゴとして考案されたエンブレムには、すでにライオンマークが採用されている。「ライオン・プジョー」という自動車製造会社がルーツだが、なぜライオンかと調べてみれば、自動車製造前の業種「金具加工業」ですでに、ライオンマークが使われていたからだという。

 

その後、かたちや立体感を変えつつも、1948年にはプジョーの自動車工場のあるフランシュ・コンテ州の紋章にちなんだ、新しいエンブレムが採用された。

 

このエンブレム、現在に通じるライオン・マークが描かれているのだが、フランシュ・コンテ州の紋章「青地に金獅子」をほぼそのまま使用していることがわかる。

 

フランシュ・コンテ州とは、PSAグループの工場のあるソショーが属する州だ。ソショーという街は大変小さく、その殆どがPSA工場だったりする。たぶん、PSAがなければ世界的に知られる街ではないはずだ。それは、神奈川県の追浜町といっても、わからないのと同じだろう。(日産の工場です(笑))

 

ソショーという街は、ドゥー県に所属する。ドゥー県があるのが、フランシュ・コンテ州。ドゥー県はスイスとの国境に位置する土地である。

 

地名として、フランシュ・コンテ州、ドゥー県、ソショーと見てきたが、その全ての紋章は「青地に金獅子」。さらに、フランシュ・コンテ州はブルゴーニュ州と合併し、今は「ブルゴーニュ・フランシュ・コンテ 地域圏」(BFCと略すらしい)という長い名前に変わっている。

 

そして、この地域県の紋章もまた、「青地に金獅子」。

 

プジョーと同じ、ライオンマーク。この調査は、中世フランスの貴族の調査へと変わっていく。

 

フランシェ・コンテの紋章 フランシュ・コンテの紋章

出典:Wikipedia

ブルゴーニュ・フランシュ・コンテ地域圏の紋章

出典:Wikipedia

 

ブランシュ・コンテのライオン・マークの出どころ

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ブルゴーニュの古い歴史には出てこない

欧州は、地域を大きく支配する「王」と、細かな地域を治める「貴族」で管理されていた。日本でいうと戦国武将のようなものだろうか。貴族や王は戦争や婚姻を繰り返し、自分の持つ領土を固めていた。

 

「王」は貴族の中から選ばれることもあり、どの貴族に味方するか、敵対するかの戦略が絶えず、いくつかの小さな国(公国:貴族の管理する国)ができては、廃れるを繰り返す。

 

西暦400年以降に存在していた「ブルグント王国」は、現在の「ブルゴーニュ地方」に存在していた古代王国。その後フランク王国の侵略によって滅亡するが、ブルゴーニュという名前だけは残り現在に至っている。しかし、紋章は存在しなかった。

 

その後ブルゴーニュ地方はいくつかの王国により支配されながらも、「貴族」が管理する土地になり、公爵が管理する「ブルゴーニュ公国」と諸侯により管理される「ブルゴーニュ伯領」の2つになった。「青地に金獅子」の紋章が最初に確認できるのは、ブルゴーニュ伯領のほうだ。

 

そこには、名門王家の存在が関係しているようである。

ナッサウ家の紋章

ナッサウ家の紋章

出典:Wikipedia

オランダ王家に繋がる?

フランシュ・コンテと同じマークを探していると、「ナッサウ家」の紋章にたどり着いた。古くはローマ王を輩出した名門であるが、はじまりは伯爵家に過ぎなかった。ただ、ドイツ西側の領地を治めていたナッサウ家は、2つのおおきな家系をつくることになる。

 

オットー一世(ナッサウ)からはじまる「オラニエ=ナッサウ家」は、戦略的な婚姻を繰り返すなどして、次第に勢力を伸ばしていく。最終的には今のオランダ領を得るまでになり、オランダの君主=王家となることに成功した。

 

その「オラニエ=ナッサウ家」は発展途中、ブルゴーニュ公に仕えるなどしていたようだ。ブルゴーニュ公国とブルゴーニュ伯領は別の地域として管理されていたのだが、時代の途中、同じ公爵に管理されていた歴史もある。ナッサウ家とフランシュ・コンテの接点は此処しか見出だせないのだが、関係はあると見ていいだろう。

 

今、ナッサウ家の紋章には青地に金獅子の紋章が使われており、オランダ王国の紋章にも組み込まれているが、初めて紋章を制定したのが、ブルゴーニュ公に仕えている時だったのかどうか。これも定かではないのだ。

 

実は、ナッサウ家がブルゴーニュ公に近づく以前より、ホーエンシュタウフェン家のオットーが金獅子紋章のベースとなるものを考案していたようである。ただ、背景には果物があるようで、どちらがブルゴーニュ伯領の源流かは定かではない。

 

オットー一世の考案?

出典:Wikipedia

 

しかし特定の王国の影響下に置かれながらも、「伯領」というかたちで自由都市として栄えることになるフランシュ・コンテは、青地に金獅子の紋章とともに、欧州の中でも稀な存在の地域になるのだった。

 

オランダ国章

オランダの国章

出典:Wikipedia

獅子マーク

ここまで簡単に歴史を振り返ることができたが、ならば「青地に金獅子」の本当のルーツはどこなのか?という疑問点は残ったままだ。ネット上の資料では、これ以上を解き明かすことはできない。

 

そこで、獅子の紋章側から調べることにした。

 

ライオン・マークの意味

ライオン・マークは世界様々なところで使われている。その立ち方、デザインによって意味合いがことなるのだが、基本的には「勇気」「強さ」「威厳」「貴族」そして「王族」を表している。

 

ナッサウ家も「貴族」であるから、ライオン・マークを使ったのだろうと考えられ、ヨーロッパの王族達と何かしらの関係があったと思われる。ただ、13世紀になるまでは、獅子は使われていなかった。

 

ライオン・マークは主にキリスト教圏で見られるようで、例えばイギリスの国章は「ライオン」と「ユニコーン」が盾を支える形になっている。「ライオン」と「ユニコーン」は、紀元前2世紀頃に書かれた「Physiologus(フィシオロゴス)」という書物で書かれている。

ライオンはその雌が子供を死産した時、その父である雄はその子達に3日間息を吹きかけるか、咆哮することによって生き返らせる。

ユニコーンは汚れなき処女の許に親しげに近づいて首をその胎に憩わせ、彼女に捕らえられてしまう。

出典:Wikipedia

イギリスの国教が「キリスト教」であるように、「ライオン・マーク」を使うということは、キリスト教の信徒であるということ表していると考えられ、それは王家と修道院が深い関わりがあることからも察しられる。

 

他方、ユダヤ教にも「ライオン・マーク」が神聖視されていることから(ユダのライオン)、「ライオン・マーク」が世界的にキリスト教と関わるものというわけではなく、あくまで欧州内での事柄と捉えるのがよいだろう。

(日本の狛犬も、ライオンから来ているなんて噂もあるしね。)

イギリスの国章

イギリスの国章

出典:Wikipedia

 

紋章の色に意味はない?

「青地に金獅子」は、ナッサウ家意外にも、12世紀頃にも、アンジュー伯ジェフリープランタジネットが使い始めているようだ。

One of the earliest known examples of armory as it subsequently came to be practiced can be seen on the tomb of Geoffrey Plantagenet, Count of Anjou , who died in 1151. [5] An enamel, probably commissioned by Geoffrey’s widow between 1155 and 1160, depicts him carrying a blue shield decorated six golden lions rampant and wearing a blue helmet adorned with another lion.

出典:Wikipedia

オレンジ色部分、「横を向いている6つの金色のライオンを装飾した青い盾を持ち」という文言で書かれている。欧州王家の研究をしているわけではないので内容が薄く申し訳ないが、12世紀頃に使われだした紋章は、意外と突拍子もなく使われだすことがあるのかもしれない。

 

様々な王家が色違いの「ライオン・マーク」を使っていることから、君主のマークであるとか、王家からの血筋の派生などから、ライオンの種類は沢山作られたのかもしれない。

 

そもそも、なぜ紋章が必要かといえば、戦場で兵士同士を間違えない為だという。血を分けた国同士が争っていた時代、似たような紋章ができても不思議はなく、むしろ敵対するようであれば、似たような紋章は使わなくなるのが普通である。

 

その証拠に、ブルゴーニュ伯となった「オットー一世」(ナッサウ家ではない)は、ホーエンシュタウフェン王朝からの派生であるにも関わらず、その王朝は「黄色地に黒のライオン」の紋章を掲げていた。

 

王家の乱立、紋章の重要性。違う文化の為、理解するのは難しそう。

 

それにしても、調べてみると毒殺、暗殺と大変そう。同じ名前も多いし、世界は争いに満ちていて、毒々しいのだね・・・

 

左:ブルゴーニュ公国 右:ブルゴーニュ伯領。どちらもブルゴーニュ王国の名残の土地である。

出典:Wikipedia

プジョーのライオン・エンブレム

宗教の影響

ブルゴーニュ地域で長く使われてきたライオン・マーク。では、プジョーがライオン・マークを掲げた意味はなんだろうか?

 

ここからは、史実が乏しいのでかなり「まこまちの想像」になる。お気をつけ願いたい。

 

プジョー家の歴史は、おおよそ1810年の金属加工工場の開業から書かれることが多い。

 

海外サイトをいくつか巡ってみても、あまり有益な情報は得られない。もちろん、今は有名な企業ではあるけれど、家の歴史はプライベートでもあることだ。どこまでも詮索してくのは好ましくない。

 

しかし、ひとつだけ面白い情報をみつけることができた。

Originally, the Peugeot family probably came from Switzerland (one of them is mentioned as being “a bourgeois of Soleure”).Their name appears in the parish registers of the Montbéliard district as early as the XV th century,

出典:Musse Protestant

翻訳:プジョーファミリーは恐らく、スイス出身である。(一人は、ゾロトゥルンのブルジョワと言われている。)彼らの名前は、15世紀の早い時期に、モンベリアール地区の教区の登録簿に現れました。

(ブルジョワ:中流階級)

 

このサイトによると、彼らはプロテスタントであったとされている。金属加工業で発展する彼らは、プロテスタントの影響により、社会福祉にも力をいれていたという。例えば、社員用の病院であったり、社員寮であったり、年金であったりだ。

 

激しい危機に直面していないプジョーの歴史は、宗教的な正義感を常に心がけ、働く人を大事にした結果なのかもしれない。

(プロテスタント:カトリック教会から分離し、福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。)

 

教会を味方につけた商家だったか

だとすれば、キリスト教を信仰する印の一つであり、ブルゴーニュ地域の教会との強い関係を表す意味を込め、プジョーはライオン・エンブレムを採用したのではないだろうか。

 

特に名家ではなかったと見られるプジョー家だが、プロテスタントとして活動することで、教会のバックアップを受けることができた可能性がある。プジョー家が15世紀から農業を営んできたとすると、本来ならば農奴だったと見えなくはないが、教会に名前がある時点で有力な商家だったのかもしれない。

 

そして、カトリック教会ではなかったことにより、王家を排除する「フランス革命」の影響もたいして受けず、そもそも金属加工業を営むことができるほどの資金があった。(スイスのブルジョワなのだから。)

 

「いままで農家でした」というには、あまりにも良くできた話しなのである。

 

プジョーのエンブレム

現代のエンブレムに込められた意味

そして、現代プジョーのライオン・エンブレムは。

 

福音主義を強く意識するプロテスタントの影響を受けた経営者によって作られた、とても強い企業体ではあるのだが(今も、プジョー家は13%の株を所有している)、現代社会において宗教観は強くないほうが好ましく、それでも理念は保持しておくべきと考え、同じライオンマークであるフランシュ・コンテ州のエンブレムを採用した。

 

と考えるのはどうだろうか。

 

つまり、道徳や正義を重んじ、ルーツや地域を重んじ、働く人を重んじる。

 

本当にそのような理念があるとすれば、素晴らしいことじゃないか。

 

これは私の勝手な想像であり、特に宗教に嫌悪感を持つ人には嫌な話かもしれない。しかし、フランスが宗教の自由を保証していることを踏まえ、上記の通り宗教観を抑えるためと捉えれば、自然な考え方だと思う。

 

「鋸の刃の堅牢さは、ライオンの歯のごとく」

 

「鋸の刃のしなやかさは、ライオンの強靭な肉体のごとく」

 

「鋸の刃の切れ味の良さは、獲物に飛びかかるライオンのごとく」

 

鋸(ノコギリ)メーカーであったプジョーが、獅子に込めた想い。攻撃的なことだけではなく、様々な正義の上で、人にやさしく生きていく。

 

そう捉えることにして、今回の特集を終わろうと思う。

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