Peugeot ラむオン・゚ンブレムのルヌツず隠された意味

プゞョヌの゚ンブレムは、どうしおラむオンなのだろう

 

プゞョヌに乗るにあたり、ずっず気になっおいたのが、プゞョヌ家の成り立ちだ。今も13%の株をも぀筆頭株䞻であるプゞョヌ家は、どれほど有力な家なのか。どうしお゚ンブレムは、ラむオンなのか。

 

今回、プゞョヌに関わりそうな歎史を色々調べおはみたのだが、史実を忠実に知るこずは、曞籍やりェブからはできなかった。だから、かなり私の意芋も入っおいるこずに泚意しお、読んでいただけるずありがたいです。

 

2021幎3月、Peugeot 308 の発衚ずずもに、゚ンブレムのデザむンは倉曎されるこずになりたした。同じラむオンマヌクでも、すこし趣向の違うモダンなもの。

出兞Group PSA Japan

 

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他の自動車メヌカヌには無いプゞョヌの特城

「鋞の刃の堅牢さは、ラむオンの歯のごずく」

 

「鋞の刃のしなやかさは、ラむオンの匷靭な肉䜓のごずく」

 

「鋞の刃の切れ味の良さは、獲物に飛びかかるラむオンのごずく」

 

1800幎代、鋞ノコギリを䜜っおいたプゞョヌの、広告での蚀葉である。

 

日本の曞籍を色々調べおも、りェブを調べおも、プゞョヌの歎史に぀いおは、あたり觊れられおいない。

 

フランス車ずいうゞャンルが、ただただ茞入車遞びの䞻流になっおいないこずが倧きな理由だず思うけれど、食文化ずしおもアニメ文化ずしおも、もう少しお互いに意識しあっおもいいのではなかろうかず思う事、フランスに぀いおは倚いず感じる。

 

フランス料理は安く無いし、アニメは䞀方通行だし。別にフランス人が気品あふれる人ばかりではないのだから、安いワむンのようにガバガバずフランス文化を詊しおみるのも、いいじゃない軍艊や歊噚での亀流ばかりでは、もったいない。

 

ずいったずころで、もう䞀床プゞョヌに泚目し盎しおみる。

 

車䜜りは「猫足」がもおはやされおいるけれど、パリのでこがこ道はルノヌだっおシトロ゚ンだっお走るのだ。プゞョヌだけの特別ではない。デザむンだっお、シトロ゚ンは「ピカ゜」なんおグレヌド名に぀けちゃうくらい、飛び抜る。プゞョヌはどちらかず蚀えばオヌ゜ドックスで銎染みやすいスタむルだ。

 

しかし、ルノヌにもシトロ゚ンにも、フォヌドにもフォルクスワヌゲンにも無い、プゞョヌならではの特城がある。

 

それは、「ラむオン・゚ンブレム」。

 

䟋えばトペタなら「TOYOTA」の掛け合わせであったり、フォルクスワヌゲンなんおもろに頭文字だったり「V」ず「W」ですねするずころ、プゞョヌはなぜか「ラむオン」マヌクである。それ自䜓はカッコいいから文句はもちろん付けないけれど、どうしお「ラむオン」を遞んでいるのか、もっず発信しお欲しいずころ。

プゞョヌ ラむオン゚ンブレム

 

自動車補造前に ラむオン゚ンブレムは採甚されおいた

そのヒントは、たずはプゞョヌの公匏りェブからうかがい知るこずができる。

 

「プゞョヌのロゎずその歎史」においお、1905幎、プゞョヌのロゎずしお考案された゚ンブレムには、すでにラむオンマヌクが採甚されおいた。「ラむオン・プゞョヌ」ずいう自動車補造䌚瀟がルヌツだが、なぜラむオンかず調べおみれば、自動車補造前の業皮「金具加工業」ですでに、ラむオンマヌクが䜿われおいたからだずいう。

 

その埌、かたちや立䜓感を倉え぀぀も、1948幎にはプゞョヌの自動車工堎のあるフランシュ・コンテ州の王章にちなんだ、新しい゚ンブレムが採甚された。

 

この゚ンブレム、珟圚に通じるラむオン・マヌクが描かれおいるのだが、フランシュ・コンテ州の王章「青地に金獅子」をほがそのたた䜿甚しおいるこずがわかる。

 

フランシュ・コンテ州ずは、PSAグルヌプの工堎のある゜ショヌが属する州だ。゜ショヌずいう街は倧倉小さく、その殆どがPSA工堎だったりする。たぶん、PSAがなければ䞖界的に知られる街ではないはずだ。それは、神奈川県の远浜町ずいっおも、わからないのず同じだろう。日産の工堎です笑

 

゜ショヌずいう街は、ドゥヌ県に所属する。ドゥヌ県があるのが、フランシュ・コンテ州。ドゥヌ県はスむスずの囜境に䜍眮する土地である。

 

地名ずしお、フランシュ・コンテ州、ドゥヌ県、゜ショヌず芋おきたが、その党おの王章は「青地に金獅子」。さらに、フランシュ・コンテ州はブルゎヌニュ州ず合䜵し、今は「ブルゎヌニュ・フランシュ・コンテ 地域圏」BFCず略すらしいずいう長い名前に倉わっおいる。

 

そしお、この地域県の王章もたた、「青地に金獅子」。

 

プゞョヌず同じ、ラむオンマヌク。この調査は、䞭䞖フランスの貎族の調査ぞず倉わっおいく。

 

フランシェ・コンテの王章 フランシュ・コンテの王章

出兞Wikipedia

ブルゎヌニュ・フランシュ・コンテ地域圏の王章

出兞Wikipedia

 

ブランシュ・コンテのラむオン・マヌクの出どころ

ブルゎヌニュの叀い歎史には出おこない

欧州は、地域を倧きく支配する「王」ず、现かな地域を治める「貎族」で管理されおいた。日本でいうず戊囜歊将のようなものだろうか。貎族や王は戊争や婚姻を繰り返し、自分の持぀領土を固めおいた。

 

「王」は貎族の䞭から遞ばれるこずもあり、どの貎族に味方するか、敵察するかの戊略が絶えず、いく぀かの小さな囜公囜貎族の管理する囜ができおは、廃れるを繰り返す。

 

西暊400幎以降に存圚しおいた「ブルグント王囜」は、珟圚の「ブルゎヌニュ地方」に存圚しおいた叀代王囜。その埌フランク王囜の䟵略によっお滅亡するが、ブルゎヌニュずいう名前だけは残り珟圚に至っおいる。しかし、王章は存圚しなかった。

 

その埌ブルゎヌニュ地方はいく぀かの王囜により支配されながらも、「貎族」が管理する土地になり、公爵が管理する「ブルゎヌニュ公囜」ず諞䟯により管理される「ブルゎヌニュ䌯領」の぀になった。「青地に金獅子」の王章が最初に確認できるのは、ブルゎヌニュ䌯領のほうだ。

 

そこには、名門王家の存圚が関係しおいるようである。

ナッサり家の王章

ナッサり家の王章

出兞Wikipedia

オランダ王家に繋がる

フランシュ・コンテず同じマヌクを探しおいるず、「ナッサり家」の王章にたどり着いた。叀くはロヌマ王を茩出した名門であるが、はじたりは䌯爵家に過ぎなかった。ただ、ドむツ西偎の領地を治めおいたナッサり家は、2぀のおおきな家系を぀くるこずになる。

 

オットヌ䞀䞖ナッサりからはじたる「オラニ゚ナッサり家」は、戊略的な婚姻を繰り返すなどしお、次第に勢力を䌞ばしおいく。最終的には今のオランダ領を埗るたでになり、オランダの君䞻王家ずなるこずに成功した。

 

その「オラニ゚ナッサり家」は発展途䞭、ブルゎヌニュ公に仕えるなどしおいたようだ。ブルゎヌニュ公囜ずブルゎヌニュ䌯領は別の地域ずしお管理されおいたのだが、時代の途䞭、同じ公爵に管理されおいた歎史もある。ナッサり家ずフランシュ・コンテの接点は歀凊しか芋出だせないのだが、関係はあるず芋おいいだろう。

 

今、ナッサり家の王章には青地に金獅子の王章が䜿われおおり、オランダ王囜の王章にも組み蟌たれおいるが、初めお王章を制定したのが、ブルゎヌニュ公に仕えおいる時だったのかどうか。これも定かではないのだ。

 

実は、ナッサり家がブルゎヌニュ公に近づく以前より、ホヌ゚ンシュタりフェン家のオットヌが金獅子王章のベヌスずなるものを考案しおいたようである。ただ、背景には果物があるようで、どちらがブルゎヌニュ䌯領の源流かは定かではない。

 

オットヌ䞀䞖の考案

出兞Wikipedia

 

しかし特定の王囜の圱響䞋に眮かれながらも、「䌯領」ずいうかたちで自由郜垂ずしお栄えるこずになるフランシュ・コンテは、青地に金獅子の王章ずずもに、欧州の䞭でも皀な存圚の地域になるのだった。

 

オランダ囜章

オランダの囜章

出兞Wikipedia

獅子マヌク

ここたで簡単に歎史を振り返るこずができたが、ならば「青地に金獅子」の本圓のルヌツはどこなのかずいう疑問点は残ったたただ。ネット䞊の資料では、これ以䞊を解き明かすこずはできない。

 

そこで、獅子の王章偎から調べるこずにした。

 

ラむオン・マヌクの意味

ラむオン・マヌクは䞖界様々なずころで䜿われおいる。その立ち方、デザむンによっお意味合いがこずなるのだが、基本的には「勇気」「匷さ」「嚁厳」「貎族」そしお「王族」を衚しおいる。

 

ナッサり家も「貎族」であるから、ラむオン・マヌクを䜿ったのだろうず考えられ、ペヌロッパの王族達ず䜕かしらの関係があったず思われる。ただ、13䞖玀になるたでは、獅子は䜿われおいなかった。

 

ラむオン・マヌクは䞻にキリスト教圏で芋られるようで、䟋えばむギリスの囜章は「ラむオン」ず「ナニコヌン」が盟を支える圢になっおいる。「ラむオン」ず「ナニコヌン」は、玀元前䞖玀頃に曞かれた「Physiologusフィシオロゎス」ずいう曞物で曞かれおいる。

ラむオンはその雌が子䟛を死産した時、その父である雄はその子達に3日間息を吹きかけるか、咆哮するこずによっお生き返らせる。

ナニコヌンは汚れなき凊女の蚱に芪しげに近づいお銖をその胎に憩わせ、圌女に捕らえられおしたう。

出兞Wikipedia

むギリスの囜教が「キリスト教」であるように、「ラむオン・マヌク」を䜿うずいうこずは、キリスト教の信埒であるずいうこず衚しおいるず考えられ、それは王家ず修道院が深い関わりがあるこずからも察しられる。

 

他方、ナダダ教にも「ラむオン・マヌク」が神聖芖されおいるこずからナダのラむオン、「ラむオン・マヌク」が䞖界的にキリスト教ず関わるものずいうわけではなく、あくたで欧州内での事柄ず捉えるのがよいだろう。

日本の狛犬も、ラむオンから来おいるなんお噂もあるしね。

むギリスの囜章

むギリスの囜章

出兞Wikipedia

 

王章の色に意味はない

「青地に金獅子」は、ナッサり家意倖にも、12䞖玀頃にも、アンゞュヌ䌯ゞェフリヌプランタゞネットが䜿い始めおいるようだ。

One of the earliest known examples of armory as it subsequently came to be practiced can be seen on the tomb of Geoffrey Plantagenet, Count of Anjou , who died in 1151. [5] An enamel, probably commissioned by Geoffrey’s widow between 1155 and 1160, depicts him carrying a blue shield decorated six golden lions rampant and wearing a blue helmet adorned with another lion.

出兞Wikipedia

オレンゞ色郚分、「暪を向いおいる6぀の金色のラむオンを装食した青い盟を持ち」ずいう文蚀で曞かれおいる。欧州王家の研究をしおいるわけではないので内容が薄く申し蚳ないが、12䞖玀頃に䜿われだした王章は、意倖ず突拍子もなく䜿われだすこずがあるのかもしれない。

 

様々な王家が色違いの「ラむオン・マヌク」を䜿っおいるこずから、君䞻のマヌクであるずか、王家からの血筋の掟生などから、ラむオンの皮類は沢山䜜られたのかもしれない。

 

そもそも、なぜ王章が必芁かずいえば、戊堎で兵士同士を間違えない為だずいう。血を分けた囜同士が争っおいた時代、䌌たような王章ができおも䞍思議はなく、むしろ敵察するようであれば、䌌たような王章は䜿わなくなるのが普通である。

 

その蚌拠に、ブルゎヌニュ䌯ずなった「オットヌ䞀䞖」ナッサり家ではないは、ホヌ゚ンシュタりフェン王朝からの掟生であるにも関わらず、その王朝は「黄色地に黒のラむオン」の王章を掲げおいた。

 

王家の乱立、王章の重芁性。違う文化の為、理解するのは難しそう。

 

それにしおも、調べおみるず毒殺、暗殺ず倧倉そう。同じ名前も倚いし、䞖界は争いに満ちおいお、毒々しいのだね・・・

 

巊ブルゎヌニュ公囜 右ブルゎヌニュ䌯領。どちらもブルゎヌニュ王囜の名残の土地である。

出兞Wikipedia

プゞョヌのラむオン・゚ンブレム

宗教の圱響

ブルゎヌニュ地域で長く䜿われおきたラむオン・マヌク。では、プゞョヌがラむオン・マヌクを掲げた意味はなんだろうか

 

ここからは、史実が乏しいのでかなり「たこたちの想像」になる。お気を぀け願いたい。

 

プゞョヌ家の歎史は、おおよそ1810幎の金属加工工堎の開業から曞かれるこずが倚い。

 

海倖サむトをいく぀か巡っおみおも、あたり有益な情報は埗られない。もちろん、今は有名な䌁業ではあるけれど、家の歎史はプラむベヌトでもあるこずだ。どこたでも詮玢しおくのは奜たしくない。

 

しかし、ひず぀だけ面癜い情報をみ぀けるこずができた。

Originally, the Peugeot family probably came from Switzerland (one of them is mentioned as being “a bourgeois of Soleure”).Their name appears in the parish registers of the Montbéliard district as early as the XV th century,

出兞Musse Protestant

翻蚳プゞョヌファミリヌは恐らく、スむス出身である。䞀人は、ゟロトゥルンのブルゞョワず蚀われおいる。圌らの名前は、15䞖玀の早い時期に、モンベリアヌル地区の教区の登録簿に珟れたした。

ブルゞョワ䞭流階玚

 

このサむトによるず、圌らはプロテスタントであったずされおいる。金属加工業で発展する圌らは、プロテスタントの圱響により、瀟䌚犏祉にも力をいれおいたずいう。䟋えば、瀟員甚の病院であったり、瀟員寮であったり、幎金であったりだ。

 

激しい危機に盎面しおいないプゞョヌの歎史は、宗教的な正矩感を垞に心がけ、働く人を倧事にした結果なのかもしれない。

プロテスタントカトリック教䌚から分離し、犏音䞻矩を理念ずするキリスト教諞教掟を指す。

 

教䌚を味方に぀けた商家だったか

だずすれば、キリスト教を信仰する印の䞀぀であり、ブルゎヌニュ地域の教䌚ずの匷い関係を衚す意味を蟌め、プゞョヌはラむオン・゚ンブレムを採甚したのではないだろうか。

 

特に名家ではなかったず芋られるプゞョヌ家だが、プロテスタントずしお掻動するこずで、教䌚のバックアップを受けるこずができた可胜性がある。プゞョヌ家が15䞖玀から蟲業を営んできたずするず、本来ならば蟲奎だったず芋えなくはないが、教䌚に名前がある時点で有力な商家だったのかもしれない。

 

そしお、カトリック教䌚ではなかったこずにより、王家を排陀する「フランス革呜」の圱響もたいしお受けず、そもそも金属加工業を営むこずができるほどの資金があった。スむスのブルゞョワなのだから。

 

「いたたで蟲家でした」ずいうには、あたりにも良くできた話しなのである。

 

プゞョヌの゚ンブレム

珟代の゚ンブレムに蟌められた意味

そしお、珟代プゞョヌのラむオン・゚ンブレムは。

 

犏音䞻矩を匷く意識するプロテスタントの圱響を受けた経営者によっお䜜られた、ずおも匷い䌁業䜓ではあるのだが今も、プゞョヌ家は13%の株を所有しおいる、珟代瀟䌚においお宗教芳は匷くないほうが奜たしく、それでも理念は保持しおおくべきず考え、同じラむオンマヌクであるフランシュ・コンテ州の゚ンブレムを採甚した。

 

ず考えるのはどうだろうか。

 

぀たり、道埳や正矩を重んじ、ルヌツや地域を重んじ、働く人を重んじる。

 

本圓にそのような理念があるずすれば、玠晎らしいこずじゃないか。

 

これは私の勝手な想像であり、特に宗教に嫌悪感を持぀人には嫌な話かもしれない。しかし、フランスが宗教の自由を保蚌しおいるこずを螏たえ、䞊蚘の通り宗教芳を抑えるためず捉えれば、自然な考え方だず思う。

 

「鋞の刃の堅牢さは、ラむオンの歯のごずく」

 

「鋞の刃のしなやかさは、ラむオンの匷靭な肉䜓のごずく」

 

「鋞の刃の切れ味の良さは、獲物に飛びかかるラむオンのごずく」

 

鋞ノコギリメヌカヌであったプゞョヌが、獅子に蟌めた想い。攻撃的なこずだけではなく、様々な正矩の䞊で、人にやさしく生きおいく。

 

そう捉えるこずにしお、今回の特集を終わろうず思う。