車を持つ喜びって、なんだろう?
最近はリースなんて話を聞くけれど、やっぱり車は所有したい。なら、なぜ所有したいのか?と聞かれれば、意外と明確な理由がでない事に気がついた。
大事に乗りたい、長く乗りたい、それは自分の大切な宝物だからであって、所有欲の理由はもっと奥底にあるはずだ。今回はそんなお話です。
クルマを購入するということ
購入の目的と決め手は違う
そもそも皆さんは、どのような目的でクルマを買う?
私は今年の初めに、Peugeot 308SW を購入した。理由は、大きな荷物を運びたいことと、輸入車という優越感を感じたかったから。その前はボルボV40。さらに前はV50。子供が小さかったこともあり、万が一の事故への最大限の防御として、ボルボは選んでいた。
そしてなにより、見た目の高級感はソコソコなのに、日本車より高価であることを密かな喜びとしていた。車に対するお金のかけ方が、ボルボもプジョーも好みにはまる。
クルマの本質としての性能というのか、スペックとは違う良さ、例えば、車内の空間のセンスだとか、そういったものは輸入車が良いと今でも思う。
「好み」は自動車選びの本質か
こう書いてみると、何よりも「輸入車の優越感」が私には強くあることがわかってくる。「大きな荷物」と「最大限の防御」は、ライフスタイルの変化によるもの。カフェ開業を目指して色々動きたい今は「荷物」で、子供が小さい頃は「防御」だった。
輸入車の優越感と目的は、切り離すことができる。欲しいと思う理由は、自分の好みが第一で、目的は第二と考えられる。目的が変わるタイミングはもちろんあるけれど、それでも趣向はあまり変わらない自動車選びをするのは、やはり好みが関係するからだと言っていい。
では、目的がライフスタイルによって変わるのであれば、リースでも良いじゃないか?所有する理由はどこにある?
ところが、心情的にリースでは受け入れられないことがあるんだ。
リースは駄目
私の経験
それはまだ私が子供の頃の話。小学生の時、我が家にもマイカーがやって来た。裕福ではない家庭がゆえの、3ドアの軽ボンバン。後部座席の背もたれは子供の腰上くらいの小サイズで、けれども居住性よりも移動できる喜びに、家族で随分もりあがった。
その後、やはり軽だが、ハイトワゴンに入れ替えた。バン仕様で背もたれ不遇は変わらなかったが、寝転がれる楽しさは格別だったし、自動車ってそういうものだと思っていた。
ところが、他の家族の軽ハイトワゴンを見た時に衝撃が走る。リアシートも背もたれがあって、しっかり座れる形状だったのだ。
お金がないながらも自動車免許をとり、なんとか購入した父のマイカー。その苦労は大人になれば解るけれども、当時の私はそんなことは知るはずもなく、なんだか惨めに思ってしまう。
誇れるクルマを探すべき
だから、子供が生まれてからは「誇れるクルマ」を選ぶようになっていった。
理由があって選んでいる。それは目的だけじゃなく、センスやデザインも含めてで。我が子がクルマに乗る時に、他人のクルマと見比べても惨めにならないように。その隔たった感覚、自己満足こそが、「輸入車」を選ぶひとつの基準だったのだ。
後押しは、メルセデス・ベンツ VS トヨタレビンの衝突事故だったり、信号無視で横から当たられた経験だったり。輸入車は硬い。そんな感覚が私を輸入車の世界へ引き入れてゆく。
私の愛車は、様々な経験から導き出された、スピードの速い欧州基準の安全性能を選ぶべきという考えであり、今最も有効に使うための目的をあわせ持ったもの。それがたまたま、Peugeot 308SW だったというだけの事なのだ。
そして、今なら解る父の苦労の続き、安かろうがクルマに乗りたい、乗せてあげたいの先にある。クルマを持つこと、人に見られるときの微妙な感覚。このクルマは借り物なのか、買い物なのか。時代にそぐわなくなるかもしれないが、買ったものでなければ胸を張れない感覚。
これが、心情的にリースが無理、という理由なんだ。
クルマを持つ喜びとは
人生を映し出す鏡だから
と一方的に話したところで、もう一度初めに戻って聞いてみる。車を持つ喜びってなんだろう?
私の場合、「惨めにならない」「硬くて安全」=「輸入車に乗ること」であることと、目的にあった車を選べたこと。これらが折り重なって、クルマを持つ喜びを感じるんだと考えている。
皆さんはいかがだろうか?
例えば、BMWはこの問題に簡単に答えてくれる。「駆け抜ける喜び」だ。爽快に走るための車となれば、BMWは最適解。手に入れる事で得られるのは、キャッチフレーズのとおりである。
色々な道路を、クルマと対話を重ねながら駆け抜けたい。そんな気持ちの人にとって、BMWはオンリーワンに違いなく、クルマを持つ喜びを感じることだろう。
以前このブログで、クルマはインスピレーションで買おうと言ったことがある。言葉で無理やり理解して、周りに薦められる車を買うより、きっと長く愛せるから。
その理由、書いていてわかってきた。自分の今までの人生が、車選びに直結するんだ。
嬉しさ、楽しさ、後悔、無念。決して虹色ではない貴方のココロとフェーズのあったクルマに逢えたら、それは買うしかないでしょう?
人それぞれの喜び
乗せる人の快適性を最大限に考えて、クラウンを選ぶ人がいるかもしれない。
汚しても良いという大きな気持ちを具現化する為に、エクストレイルを選ぶ人がいるかもしれない。
奥さん、子供も一緒に運転するからと、ゴルフやフィットを選ぶ人がいるかもしれない。
初心者の娘が心配だからと、ボルボやベンツを中古でも買い与える親がいるかもしれない。
黄色の車が乗りたいからと、ルノーで選ぶ人がいるかもしれない。
キャンプやバイク、アクティブな暮らしのお供にと、パサートを選ぶ人もいるかもしれない。
写真に写すオブジェクトとしても。
たくさん乗って吟味を重ねて、3008を選ぶ人も、プジョーが周りに増えたことで508SWに決める人も。
それぞれの人生に、生き方に、合う車は必ずあるから。自分の欲しいに正面から向き合いたいね。
自分の手元に置いておこう
SNSやブログをやっていると、車を買った時の「おめでとう」をたくさん貰える。これは、父の世代には無かったことだ。自分の嬉しいを共有できる。喜びを分かち合うって、とっても幸せなことだよね。これもクルマを持つ喜びだと思えるなぁ。
クルマを買うということ、高額な支払いをすることは、自分の人生の時間を費やすということだ。
リースというのは、使用料を支払う感覚。ローンというのは、借りたお金を返す感覚。貴重な人生を費やしたのなら、返却するより自分の手元に置いておきたいものだろう。
「自分のモノにする = 世の中の責務を果たす」 この実感を得たいのならば、クルマを持つ喜びをしっかり味わい、自分の為にあるそのクルマを大事にするべきなのだ。
さあ、ステアリングを握ろう。アクセルに脚を置こう。貴方の選んだそのクルマといる時間は、今だけだぞ。