ゴールド・ライン。
私がボルボV40を送り出す上でつける言葉。
我が愛車V40は私の手元を離れるが、その類稀な才能があれば、まだまだ現役で生き続けることができる。
いくつかのエピソードとともに綴るこのコーナーは、これからボルボに乗る人、ボルボを考えている人、ボルボの所有者、ボルボを手放そうとする人すべてに送る、ラスト・ラブソングである。
パッションレッドをまとったボルボたち
story VOLVO V50
やはり一度惚れ込んだクルマだから、過去のことを思い出すのは忍びない。
ボルボとは12年の付き合いで、その年月といえば、子供が「抱っこ」のときから「触らないで」と言うようになるまで。チャイルドシートに乗せていたころから、大人サイズになるまでと、とても長い時間なのだ。
彼らは、我がファミリーを守るという使命を見事にまっとうした。
国産車であれば 2 回はフルモデルチェンジするところ。私は 1 回しか買い替えしなかったが、それは古さを感じないエクステリアデザインだったことも大きい。
そしてなにより、ボディカラーは大のお気に入り。「パッションレッド」の鮮やかさは、どんなクルマにも負けない輝きがあったんだ。
そのカラーとの出会いは、V50を購入したとき。実車は見えなかったけど、私も家内もこれが良いと、グレード「Aktiv」のイメージカラーを指差した。
家内 クルマはやっぱり赤よね。
まこまち 黒のサイドモールが可愛くて良いね。
セールス 一番下のグレードだと、カラードモールでは無くなってしまうんですよ。
まこまち むしろ黒だからいいのに。伸びやかな印象になるよ?
カラードモールのV50は、見た目の印象は塊感あるコンパクトワゴン。けれどもブラックモールのV50は、細身に見えるスタイリングで私達の好みに合致した。
ボルボV50で、9年間を駆け抜ける。
安曇野、大町、軽井沢。長野旅行に連れ回した。
七五三にも一緒に行ったね。
着替えもオムツ替えも、エステートだからラゲッジで出来た。ここに座ってオニギリを食べる、子供の表情が可愛かった。
疲れ知らずのボルボのおかげで、日本のあらゆる場所が近くなる。
story VOLVO V40
V50は9年目の車検前に入れ替えに。エステートは選べなくなってしまったが、後継車となるV40は走りで傷を癒やしてくれる。
数字が軽くなったのが若干寂しいが、極端というくらいに上がった性能に満足し、駆け回る。お伊勢参りの弾丸ツアーは今でも印象深い。
相変わらずのパッションレッド。写真にすると、映える。赤い車はいつまでも私たち家族と居てくれる、そう信じて疑わなかった。
鮮やかな世界でも、沈んだ世界でも、色あせることなく人を魅了し続ける色。それがボルボのパッションレッド。
車に乗る時に目にするそのカラー。自慢であった。
時より人に、綺麗な色だねと言われる幸せ。まるで自分の子供が褒められたかのように、心の奥から喜びが湧き出てくるのを感じるのだ。
ボルボ V40。あまりにも好きになったから、ブログを始めることにしたし、クルマの写真を撮るようになった。今考えれば、ボルボV40があったからこそ今ここでブログを書いている。SNSやコメントで沢山の人と触れ合うことができるようになったんだ。
年末の、家内の突然の言葉。
家内 私、いまあのクルマに乗っていることが本当に嫌なの。
家内 あの人に、少しでもウチのお金が入っていくと考えるだけで、最高に気分が悪いの。
家内 クルマが悪いわけじゃないの。あの会社が、あの人が嫌いなだけ。ごめんね・・・
まこまち ・・・苦労をかけたね。ごめん。少し考えるよ。
まさか、秋のロングドライグがV40とのお別れドライブになろうとは、思っても見なかった。
「モミジ」の色とパッションレッドのV40、そして青空とのコラボレーションを求めて、ビーナスライン、信州大町と長い時間を走りゆく。
後戻りできない掛け替えのない時間。そのドライブを思い出してみよう。
ーーー つづく ーーー
雑記
パッションレッドのボディカラーは、セールス氏いわく伝統あるカラーだそうで。
けれども、現在のラインナップにはパッションレッドのボディカラーは用意されません。高級化されていくボルボに、ユーザーがどこまで付き合いきれるのか。ボルボのことを調べれば調べるほどに、私の気持ちも沈んで行きました。
もしも将来でるであろうC40などのコンパクトに、パッションレッドが出ないのであれば。ボルボの歴史の変わり目は、V40の販売終息を迎えた2019年だったと言えるのかもしれません。
次回、ゴールド・ラインシリーズは最終回です。