【モーター・アーツ】honda e 実物に触れて改めよ

売れないプロダクトに正義はない…そう言われる事は、仕方のないことだ。どんなに良い製品を作り出しても、人の心に残ったとしても、雑誌やファンが褒め称えようとも、生活のかかった人々で作り出すものであるなら、それは売れなければならないのだ。

 

例えばそれが、技術をアピールする製品だったとしよう。データ収集を目的としたテストカーだったとしよう。その取り組みは素晴らしいが、巷を駆け抜けなければ意味がない。目の前に現れなければ、製品ではない。ユーザーはテスターではない。その読み違いはブランドイメージを落とす可能性が高いのである。

 

特別な製品に支払いを求めるのなら、製品を所有する優越感を充たせ。そんな勇足で望んだ試乗だったのだが。

 

 

honda e

モーター・アーツ

 

 

ひたすらにクリーンを目指したと考えていたボディパネルは、意外なほどに美しい。遠くから見る、近くで見る。写真で見るよりもキレイだと感じる面の角度と張りの融合。まるで未来のデザイナーがスケッチした、昭和な都市の風景に放り込んだかのようなそのデザインだ。小さなボディに宿る力強さと優雅さ、そしてどことない古臭さに、甘美を覚えずにはいられない。

 

ホンダe フロントマスク

 

そのフロントフェイス。丸く愛嬌のあるヘッドライトは、まるで私に微笑みかけているように感じる。古き優しさと未来的な冷たさの間に漂う絶妙なバランスは、なんだかとてもコケティッシュだ。見直せば見直すほど、そのディテールに驚かされ、またじっくり眺めたくなる。honda e の表面は、私の考えていた「シンプル」ではなく、細部に込められた技術と美学が光る「シンプル」。ボディに映る風景は、車自体がその空間の一部であるかのようにきらめいている。

 

だから、ディーラーで並んでいる honda e を見た時に、私は視線を釘付けにされてしまった。時間を割いてしまいたいと感じさせた。ホンダが描いたのは、機能と美が共鳴する新しいアートだった。

 

ホンダe 斜め前

ホンダe サイドデザイン

ホンダe リアデザイン

 

「決心」という言葉が心に流れ込んだのは、ステアリングを握って少し経った後だった。

 

今では見慣れたエレクトリック・ギア・セレクターを、ドライブにして走り出す。愛車・CIVIC e:HEVと全く変わらない加速感は、長年培ってきたものだろう。水彩画家が筆を走らせるかのように滑らかに走る様は、地方道の壊れかけたアスファルトで車が揺れようが、帳消しにしてしまう。挑戦的なリアドライブは、しかしやはり静けさの中か、全くそれを感じない。315Nm の大きなトルクは走りの楽しさを感じるものの、オーバーに主張することなく、扱いやすさにコダワリを持つもの。

 

あくまで棘がなく、あくまで凛とスムーズに。エンジン音の無い世界、ただ、風の音とタイヤが路面を噛むわずかな響き。静寂の中に際立つのは、純粋な走行感覚だけだった。

 

ホンダe ステアリング

ホンダe ドライブスイッチ

 

ドライブトレインの静けさの対局に、重いバッテリーの為か足回りに感じる若干の剛性不足と、エンジン音かと思わせる大きなエアコン音に首を傾げるが、これを乗り越えて今の e:HEV があることを感じ取った。honda e はやはり、実験的なプロダクト。静寂に徹しきれない詰めの甘さは、ホンダも人だなと思わずにはいられない。

 

ホンダe ヘッドライト

ホンダe ナビゲーションディスプレイ

ホンダe インテリアデザイン
丸いヘッドライト、横並びのディスプレイ、ファブリックであしらわれるインテリア。本文中では語られないが、それぞれ納得の質感を備えている。ただ、すでに語るほどでも無いと言い切ることもできる。他の車種にも採用例があるからだ。

 

だから、「決心」。honda e から後の車を見ると、その存在意義が見えてくる。

 

フロントフェイスの主張をシンプルにし、雑味を感じるエグい造形をやめたのは、この頃からだろう。同年販売の honda fit も、デザインテーマを一新したことがうかがえる。そのさらに先を目指すべく起こされた honda e のエクステリアデザインは、私の唱える「無駄を削ぎ落とした彫刻の美しさ」に通ずるものがある。

 

そこから導き出される、シンプルなステップワゴン、シンプルなシビック、N-BOX、そしてアコードだ。ライバルがエッジの効かせかたに拘るのであれば、我々は新しいシンプルを目指そうじゃないか。honda e は原点で良い、他の製品の魅力の糧になるのであれば、販売台数に拘りなど持つものか。

 

電動化が主役になる世界が近づいている。スムーズな吹け上がりに気を取られず、ガラリと変えるべきホンダイズムは、やはり技術の会社であるからこそ辿り着けた答えだろう。ハイブリッドもEVも、この走りのイメージで攻めよう。それは確かに後継車に受け継がれ、新しいホンダの世界を描ききったのだ。

 

ホンダe コックピット
飛び道具的な、サイドミラーのデジタル化。これをインテリアに違和感なく取り込むには、このデザインしかなかったかも、と妙に納得してしまう。だが、おかげで新鮮さが消えてしまったようにも思う。デザインとは、難しいものである。

 

しかし、商業的失敗のレッテルはある。欧州CAFE対応であるとしても、売るための努力がなされなかったのは痛いところで、ホンダが危ぶまれる原因の一つにもなるだろう。にわかホンダファンが何を言うかと言われるかもしれないが、ユーザーの一人としては気になってしまう。その失敗の一つ一つが、時には重くのしかかり、独立性がなくなったメーカーは数多にあるのだ。

 

500万円のプライスで、日常の足を目指してはならなかった。最新のテクノロジーで作られた車は、新しい最新で塗り替えられてしまう。バッテリー性能がライバルに及ばず、商品改良もされなかった。せっかく作り上げられた新しいホンダの世界が、庶民の手に届かない。この悲しさたるや、デザイナーは、技術者達は、さぞ悲しかったことだろう。

 

だが、本当に失敗だったのか。

 

ホンダe と大きな空

 

そう、honda e は、やはり記憶に残る車なのである。目の前で輝いていたのである。写真でしか見たことのない人には、過去のオマージュとしか捉えられないことだろう。それはとても悔しい事で、だから私は「実物を見て心に刻め」と伝えたい。「実物に触れて改めよ」と叫びたい。honda e が目指す新しいデザインは、欧州車にもないものだった。その新しい世界観を、私は正しく評価できていなかったのだ。

 

和を感じ、技を感じ、我が五感を見つめ直す。honda e の小さなボディに秘められた「アートなホンダ」に、新しい期待を寄せてしまう。honda e は単なる自動車の枠から外れた、未来を体感するためのツールだった。

 

だから、honda e は失敗作とは言わせない。ホンダの未来を手中に納めたい人の為に、敢えて販売された先行ショーカーと言えるから。

 

それは、一言で表せばプレゼント。honda e の目指した、モーターアーツに違いない。