【モーター・アーツ】CIVIC e:HEV 甦れ!輝かしくも貧乏だったあの時代を

人の心に残る車がある。時にそれはベストセラーであったり、憧れのスポーツカーであったりする。長い時間をかけて積み重ねられる車との想い出は、人一人の記憶ではなく日本人の記憶に、世界の人々の記憶となり、後世まで語り続けられるものになる。

 

ホンダが誇るベストセラー「CIVIC」もまた、世界の記憶になっていた。誰もが一度は見たことがある車、乗ったことがある車だ。その大きな名前とは裏腹に、日本では最近パッとしない存在感は残念だが、若々しくも端正なハッチバックスタイルは魅力的だ。

 

年相応、年功序列が良くも悪くもルールに蔓延る日本において、シビックは50代にも受けていると言う。その秘密は、ステアリングを握らなければわかるまい。爽快シビックはZ世代だけでなく、感情を置き去りにした大人達に届く何かがあるのだ。

 

 

HONDA CIVIC e:HEV

モーター・アーツ

 

 

ハイブリッド・・・と言っても、トヨタのような遊星ギアによる巧みな制御とは違う。日産の ePowerに近いそれは、ハイブリッドでスポーツする新しい世界を見事に作り上げていた。

 

ホンダシビックe:HEV 納車日の記念撮影

HONDA CIVIC e:HEV(FL4)リアのイメージ

HONDA CIVIC 爽快インテリア

 

アクセル操作に対する加速はまさに「ダイレクト」。踏み込めば踏み込んだだけ背中を押す。内燃機関+オートマチックトランスミッションでは味わえなかった、マニュアルトランスミッションに近い、いや、それよりも遥かに高いレスポンスと直結感。慣れるまでは過敏とも感じられるシビックの振る舞いは、走りを重ね、右足が慣れる事で理解が深まる。

 

速度域が低くても思ったようにコントロールできるシビックのパワーソース「LFC」。主に電動モータで制御されるテクノロジーは、ライバルの中でもやはり、新しい。一度味わってしまったら、内燃機関の走りは全ては惰性なのだと感じてしまう。

 

ところが、HONDA CIVIC e:HEV のハイブリッドは単なる演出の一つに過ぎなかった。

 

 

ホンダシビックe:HEVのステアリング

 

ジワリとアクセルを踏み込めば、路面をスケートリンクにしたかのように滑り出す。235 40ZR18 を履く割にはあまりにも快適で、細かいノイズは車内に入ってきもしない。凹凸はボディを揺らすが、角を丸くし整える。

 

ステアリングの反応は適正で、タイヤの受ける路面の抵抗をしっかりと伝えてくる。多少のオブラートは、ドライバーへの配慮だろうか。ハンドルは汗をかいても滑らなそうな素材感、気持ちの良い握り心地だ。

 

トレンドにそったAピラーの後退。ドアウインドウの下端の水平さ。タイトを感じない視界性能は素晴らしい。正確なインフォメーションは人の中の補正が無く、楽ちんだ。

 

ブレーキング。回生ブレーキを感じないナチュラルフィール。強めに踏み込んでも大半は回生に使う。ここまでディスクブレーキに似なくてもと言ってしまうくらい、コントロールが容易である。

 

だから、行きたいところへ行ける。右足で正確に速度を定め、左右の腕で道路上の位置を定める。全ての操作感はドライバーの意図に沿う。だからCIVICを信じられる。こいつは私の思う通りに走るはずだ。

 

HONDA CIVIC e:HEV(FL4)のアクセルとブレーキペダル

 

アクセルを強く踏み込んだ。

 

自然吸気エンジンは爽やかに、トロトロと気持ちの良いサウンドを轟かす。加速にリンクする擬似ステップアップ制御が、まるでシフトチェンジがされたように「演技」する。

 

ハイブリッドでの唯一の問題点だった、ラバーバンドフィーリング。車がどんなに良くなっても、耳からのインフォメーションが何時迄も水をさしていた。HONDA CIVIC e:HEVは、効率上は無駄にしかならないエンジン回転数の上げ下げで、車と人とを繋いだのだ。

 

走る。気持ち良く、爽快に・・・!

 

信州 大きな畑と CIVIC e::HEV

 

その、至れり尽くせり感覚は、不思議な懐かしさを思い起こさる。メッシュグリルを思い起こすパンチングメタルのその奥に見える、いつかの日のフラッシュバックーーー

 

20代、欲しい車を買うほどの財力が無く、憧れの眼差しを向けていた車達。いつかは自分もと働き、家族を持った。お金は思ったよりも自分のモノにならないと知った、切なさと幸せが胸を掻きむしった事が脳裏に蘇る。

 

いや、選んで車に乗れたこと自体が贅沢だった。私の親の世代なんて、車に乗れればそれで良かった。好きな車を選べる時代に導いたのは、自分達ではない、上の世代の努力によるものだ・・・

 

ならば自分は、今できる仕事をこなすべきだ。体力は存分に湧いてくる。いつか好きな車を買おう、憧れの世界に行こう。舞い上がり続ければ、きっと手に届く時が来る。ところが。

 

・・・2008年、リーマンショック。2011年、東日本大震災。厄災は続き、国力は衰え、憧れは憧れのままの存在になる。努力は報われず、不当な給料で雇われ、階段を登ることさえ叶わなくなった。

 

こんなはずでは、と嘆いたところでもはや遅く、気付けば残された時間は減るばかり。

 

いや、待つんだ。

 

HONDA CIVIC コックピット

ホンダシビック(FL4)クリスタルパールメタリックと公園

HONDA CIVIC e:HEV(FL4)ヘッドライト

 

今、ステアリングを握っている車の未来感たるや、想像を超えているではないか。スタイルは洗練されてはいるものの、旧来のハッチバックだ。数々の車が生き残りを賭けて、そのボディ形状を変えてきた。日産サニーは消え去り、トヨタクラウンは、旧来のセダンスタイルを捨てたのだ。

 

HONDA CIVIC の選択は違った。スタイルはクラシックに寄り、しかし中身は進化した。まるでクラシックカーのようであり、他車に負けない才能を併せ持つ。誰の為?ホンダはZ世代というけれど、その次に控えるターゲットこそ本命だ。時代の荒波に揉まれつつ、我慢を乗り越えた世代達。こんな車を待っていたんだ。若き日に、力ある日に夢に見た車の未来が、CIVICだ!

 

ホンダの誠実、どこにも描かれない目的地が見えるのなら、我々も思い出せ。コンクリートの階段を!低い天井を!ビニールで出来たアーチを!若き日から失った活力は、夢をなぞることで再来する。今、もう一度踏み出す時なんだ!

 

田舎に佇むホンダシビック(FL4)

 

幻想かもしれない。屁理屈な解釈かもしれない。だが、勝手を許して欲しい。

 

人生はつらいの連続だ。上司に叱られ、同僚に苛まれ、周りの人間が信じられなくなることもある。感情を押し殺し我慢を覚えた我々は、青春時代の豊かな感情など捨ててしまった。生きるためには仕方がないことだった。

 

だが、やはり人間は感情の生き物で、笑い、喜び、涙することで先を切り開く力を得る。感情を捨てることは生き方を捨てることだが、小さな灯火が残っていれば、再び燃え上がらすことなど容易。その力は、実は皆の心の中で燻っているだけだ。つまり、大好きな何かに触れることなんだ。

 

HONDA CIVIC e:HEV に触れたのだろう?ならば、次は我々が仕掛ける番だ。騙されてみろよ。人の情熱なんて、ギミック一つで揺れ動くじゃないか。

 

HONDA CIVIC e:HEV リア+広々とした信州の美しい景色

 

HONDA CIVIC e:HEV。言うなれば、感情を再燃するクルマである。ステアリングを通じ、アクセルを通じ、人とクルマを一体にする。世界の記憶になる名前は、関わる全ての人生を左右する。さあ行こう、いつか見たまばゆく光る夢の続きへ。貴方が望んだ全ての希望は、今からだって叶うのだ。