性能の良いクルマがある。乗り心地の良いクルマがある。クルマが移動とは別のベクトルを持ち始めたのは、自動車創世記の開始直後。富裕層しか買えない時代から、庶民の買えるクルマの登場という時を経て、クルマの差別化が始まったと言って良いだろう。
ひとつのベクトルを突き詰めて成功したメーカー、失敗したメーカー、ターゲットを広げて、別の結果を得たメーカー。沢山の自動車会社が繁栄と衰退を繰り返し今に至るが、その在り方には相変わらず迷いがあり、利益が出ないがために売られたり、ベクトルの変更を余儀なくされる自動車会社は後を絶たない。
時の経営陣の間違いなのか、時代に合わなかったのかは数多の理由があるだろうが、結果として会社の行方を小さく、強くと変えることになったのが、北欧の自動車会社、ボルボである。そして V40 こそ、その象徴となったクルマとして語り継がれるに違いない。
VOLVO V40
モーター・アーツ
「アーバン・ショート・ワゴン」。VOLVO V40を販売する上でボルボが名付けたキャッチフレーズ。ワゴンであってワゴンでない。今考えれば、なんとも中途半端なコンセプトのクルマだった。VOLVO C30 / S40 / V50 の3つのボディタイプを継承した、4名がしっかり乗れて荷物も程々に乗るコンパクトハッチバック。かつ、増えたボディバリエーションの削ぎ落とし。これがアーバン・ショート・ワゴンの実態だろう。
そのコンセプトが正義だったのかは不明である。すべての「リトル・ボルボ」愛好家をひとつに纏めたコンセプト・メイキングは、実用という点では疑問符のつく出来だった。だが、それはボルボの目指すことへの代償でもあったのだ。
「安全性」と「デザイン」との融合。
ハッチバックよりも少し大きいラゲッジ・スペースは、後部からの衝突安全性能の向上の為に設計された。エンジンのミニマム化が主流である中での長いボンネットも、オフセット衝突安全性能の強化、そして世界初の歩行者用エアバッグの実用化という理由がつく。
過剰と思えるほどの無骨な安全性能を詰め込みつつ、エレガントなアスリートに仕立て上げる。世界に類を見ず、今も追従がされない VOLVO V40 は、世界の誰もが目指すことを躊躇ったからこそ異端になった。
シンプルな面構成と、躍動感あるエッジの絶妙なバランス。見る角度によって新しさを感じる3Dマテリアル。昔の車にルーツを持つというデザインは、過去の栄光にすがるのではなく、今までの道に感謝を表すだけのもの。「私はあなたのお陰で素晴らしい車になりました」、よりも一歩先、「あなたのエッセンスを取り入れて、あなたを超える車になりました。」
全ては、現代のボルボの開発者による、自画自賛。でなければ、素晴らしいプロダクトは生まれない。自分達が良いと信じるものを作り、好きだと言った人だけが買う。それはエゴかも知れないけれど、ユーザー目線と高らかに謳う(うたう)媚びた車に比べれば、愛すべきクルマだったのではなかろうか。
ただし、本気を出しすぎてユーザーを全く見ないのも、またボルボそのものなのではあるのだが。
ボルボが使いやすいと言って諦めなかった、ダッシュボードの操作パネル。新世代ボルボから始まった液晶パネルへの集約により、ようやく無くなることになる。その最後のモデルが VOLVO V40。北欧デザインが成したものと力説したにもかかわらず。だが、それこそボルボが、その都度その時代の最高傑作をつくるという信念を貫いた証だろう。
ひとつひとつ、愛されて、傷つけて、その先を目指すのだ。買い手側の心の広さをも試される。それが北欧なのだろうか?
その理不尽を超えて得られるものが大きいのも、ボルボである。Cセグメント・クラス最高と言える逸品インテリアは、V40、V40クロスカントリーという兄弟モデル、そしてグレード毎でテイストを分けている。そこにコストをかけるから、収益が上がらないんだと言わればそうなのだが、この「癖」は最新ボルボでも変わらなし、愛すべきボルボが必ず通す筋なのだ。
きっと彼らは譲らない。例えコストがかかろうとも、語る必要のないくらいに素晴らしいフロントシートも、インテリアデザインも、貫かなければボルボでなくなることを、わかっているに違いない。妥協を忘れた開発こそが、VOLVO V40のモーター・アーツ。コンパクトであるが故のコストと品質との闘いを、敢えて自ら捨て去ったんだ。
やはり、ボルボは C40 でお茶を濁さず、リトルボルボを開発して欲しい。世界一安全で、世界一美しいファミリーカーの称号は、ボルボにしか似合わない。
VOLVO V40 の開発途中に、吉利汽車資本への転換が行われた。潤沢な資本と巧みな経営手法(自動車開発には口を出さない、という、ボルボに最大の敬意を払った点)により、新生ボルボはより高級なラインナップへ移行。VOLVO V40 はその過渡期の作品で、この時代のボルボ車はみな、価格にしても後継にしても、賛否の渦にさらされた。
だが、シートに座った時の、ステアリングを握りしめた時の、クルマから感じる独特の暖かさや安心感は今も昔も変わらない。ボルボユーザーがボルボから離れがたいのは、車格がどうだとか価格が何だとかの理由ではなく、他では得られない味わいが忘れられないからである。
その乗り心地をメーカー自ら忘れることがない限り、激動の世界で苦労を重ね、老いを迎えた人が選ぶ最後の贅沢なクルマとして、ボルボという選択肢はきっと残るに違いない。